2019年は、それはそれで激動だった。もうすぐ大晦日が来ます。今年を振り返っておきましょう。
#義母が急死、そして親の世話
#体育委員、そして運動会
以上の二点に集約されると思う。
次点 T診療所の電カル変更
2019年は親の健康不安が大混乱となった一年でした。2月11日に義母が急死。その後、義父が体調を崩して入院。2月21日には実父が鼠径ヘルニアの手術。4月19日に実母が脳梗塞。やはり後期高齢者となると、いろんな病気が噴出してくる。義父と義母は、嫁が面倒をみる。嫁はつらそうだった。苦しい一年だったと思う。僕の両親は、できるだけ僕が世話するようにしたが、なかなか。11月5日には、義父が心不全の腎不全でまた入院。T診療所の電カルが変わったところで、たいそうきつかった。嫁もこたえたと思う。至らない夫で、申し訳ないと思うけど、どうしても気が利かない。ごめんなさい。
僕は思うんだけど、老人というのは、どんな人も「隠された自負」を持っている。子どもに助けを求めるんだけど、究極的にはその「最後の自負」は、侵されたくないというか。頭脳的にも、身体的にも、若い者には劣ってくる。でも、どの老人も「ここだけは譲れない」という一点を持っている。逆に言うと、老人と接するときに、そうした「譲れない一点」をいくらかでも尊重できれば、うまく付き合えるのかな、と思う。人間からプライドを奪ったら、それは生きていけないだろう。奴隷として生きることほど、辛いことはない。
ま、理想論は置いといて。親の面倒をみるということは、疲れるのです。これが確たる現実です。現役世代には、つねに仕事が控えている。今年は義父の体調が悪くて、嫁のエネルギーがどんどん消耗された。僕の両親も、いずれ世話が大変になってくると思われる。来年以降の問題点も、そこにあると思っています。だって、時の進行を止めることはできないもんね。困ったもんだー
2月に体育委員を任命された。初めは不安いっぱいでしたが、途中から開き直れたというか。運動会という鬼門。人集めで絶望しても、ガンガン訪問して、ちょっとずつ成果がでた。暑い夏の夜。わがマンションの、いろんな人の表情をみることができた。もちろん、冷たいことが多かったけど、意外に親切だったり、協力的だったり。「ありがたや~」っていう対応もあった。進撃のW氏。なんという怪力。綱引きの勝利は、W氏なくしてはなし得なかった。これは確かな事実。そして中高生の活躍。やっぱ、走りについては彼らを超える年代って、ないよね。
運動会、総合3位という成績は、本当に満足できるものでした。閉会式後の写真は、みないい表情してたなー 僕は個人的な人間なので、本来は集団や組織というものが苦手なんですが、こういう「バラバラな人間が、ひとつにまとまる」というのも悪くないなと思った次第です。てか、いいなーと思った。2019年のいい想い出となりました。ありがとうございます。
2019年もあと少しとなりました。いい年だったか? いい年だったと思います。そう思おう。やることはできるだけやったんだし。来年に進みましょう。来年がよい年でありますように。皆さんのご多幸をお祈りいたします。来年も「まるろぐ」をよろしくお願い申し上げます。
「僕の両親は、できるだけ僕が世話するようにしたが、・・・」
↓
ちょっと省略され過ぎて、本当の大変さが伝えられてないと感じたのですが。
最初から二手に分かれて介護してたかのようで・・。
2月、母の葬儀の翌週でありながら義父の入退院に付き添い、4月の義母の入院も一番に私は飛んで行き、自分の父も入院中だったので交互に病院に通ってたのが最大の山場でした。ついに過労で体調崩し、起き上がれなくあり、5月からあなたが義母の通院付き添いをしてくれるようになったといういきさつは、省いてほしくない事実です。そこのところ、よろしく。
でもあなたが義母のところに行ってくれるようになってから、随分助かりました。
ありがとう。(^^)
> お蝶夫人♪
いちばん大変だったのは、まぎれもなくあなたです。
僕はあくまでもヘルプとして動いています。
仕事があるし、限界もあります。言い訳ですが。
GW中は、手厚く見舞いました。
でも、2月3月4月は、ずっと頼り切りでした。
とても助かりました。ありがとう。
僕にとっては、お義父さんのことが印象強すぎて
他の印象が飛んでしまっています。
細部が描けていなくて、ごめんなさい。
僕とあなたとの温度差は、まさに介護への関わり度を
示しているのだと思います。すみません。
いえいえ、充分なメッセージいただいて救われました。
ありがとう。
まだ介護は続きます。これからも更にいろんなことが起きるだろうけど
よろしくね。