小説「下宿が温かくなったあの時」

我々は誰しも「あの頃は自由だった」という、妙な郷愁をよびおこす「時代」を持っている。それはよく言えば「素朴で無限な理想主義」であり、悪く言えば「ステレオタイプな未熟さ」であったりする。まるちょうは思う。あの「時代」にしか味わえなかったような、無防備な喜び、こじんまりとした温かさ、そして、しんしんとした孤独。ふと、学生時代のあるエピソードを思い出したので、ちょっと私小説っぽくアウトプットしてみます。

1980年代後半、まるちょうはK医科大学の三回生だった。もともと私という人間は「授業」というものが嫌いだった。これはおそらく、発達障害が絡んでいると思う。板書を写して、先生の話をメモして・・そういうのが、大の苦手だった。それよりは、教科書となる本をじっくり自分のペースで読み込んで、試験前に出回る板書のコピーや、さまざまの資料をかき集めて、独りで静かに取り組む方が性に合っていた。実際、それで試験はパスしたのだ。


K医科大学は、三回生から本校へ移動となり、解剖学とか生理学を学ぶこととなる。最初こそ、解剖学の授業に張り切って出ていたのだが、だんだん出なくなっていった。もちろん、教科書はじっくり読んだけどね。やはりその頃は、部活(軟式テニス)が学生生活の中心であり、授業はなかなか出れなかった。出たいと思いつつ、体が動かない。ま、厳しさが足らなかったと言われれば、その通りです。でも、それで試験とおっちゃうからね。こまったもんだ。

その頃、一回生の部活の後輩に「めしだ」という男がいた。和歌山出身のこの男、なかば強引に軟庭部に入れたのだが、なんというか、相性がいい。ふざけ合って、よくめしだに「お兄さん」とか言っていた。そうすると彼が「弟よ」と言うわけだ。面白い奴だった。彼はもちろん下宿住まい、私は実家から通学。結構なしくずし的に泊めてもらうことが多かった。私はこう言ってはなんだが「お泊まり魔」だったんですね。いろんな下宿人(あるいはご自宅)に「流れで」泊めてもらう。そうした一連の「流れ」を、妙に醸し出してしまう。これはスキルと言っていいのか、そんな「お泊まり好き」の学生だった。

あれは秋頃だったか、またいつものように「流れで」めしだの下宿に泊めてもらう。朝になり、私は布団の中でゴソゴソしている。めしだは授業に出るようだ。私たちの間には、ちゃんとした信頼関係が築かれていた。めしだは「部屋を出るときは、ここに鍵を入れてください」と言い残して、分校へ向かった。独り、しんとなるめしだの部屋。窓からは、爽やかな秋の陽光が差し込んでいる。私は、ほっこりした心持ちになった。そうだ、リュックに「ニューロンから脳へ」が入っていたな。その頃、私は第二生理学の勉強に追われていた。生理学の授業なんて、ホントに申し訳ないけど、ほとんど出てなかった。特に二生(俗にこう呼ばれていた)は、電気生理とかそういうので、あまり興味が持てなかった。でも一応、その教科書だけは、いつもリュックの中に放り込んであったのだ。

「ちょっと読んでみるかな」 秋の陽光きらめく、めしだの部屋で、私は黙々と「ニューロンから脳へ」を読み始めた。まさに「流れで」ある。生来的に、私には「無為自然」なところがある。流れに逆らわないのね。特に理由はない、単に気持ちがよかったのだ。すべては「秋の爽やかな陽光」のせいだ。無為自然な私は、その一方で、かなりの集中力を発揮する。勉強し始めたら、5、6時間くらいは平気で集中した。そういうときは、たいてい「忘我」の域に達している。外界の情報が、入ってこない状態になる。その時も、そんな感じだった。「ニューロンから脳へ」という書物が、それほど面白かったのだろうか? 今となっては、よく分からない。

昼メシを食べたのだろうか? よく覚えていない。えんえんと、貪るように「ニューロンから脳へ」を読んでいた。秋晴れの気持ちよい一日だったことだけは、よく覚えている。ふと気がつくと、外が暗くなってきている。部屋に灯りをつける。でもまだ読む。・・夕方五時頃だっただろうか、さすがに「こりゃ、長居した!」と我に返る。荷物をまとめていると、ドアの鍵が「ガチャガチャ」となって、解錠する音がなる。めしだが帰ってきたのだ。ドアがおもむろに開いて、我々は三秒ほど、呆けたように見合った。

せ、せんぱい・・

お、おかえり・・


私は気まずさを感じていた。自分の「逸脱」に、ようやく気づいたというか。取り繕うだけの言葉だった。でも次の瞬間、彼は爆笑してころげた。「先輩、これ久々のヒットですよ!」と。下宿生活のいちばん辛いのは、誰もいない冷たく暗い部屋に帰ることだ。めしだは、そうした下宿生活の寂しさを痛いほど味わっていた。そこへどうだ! 帰ったら、まるちょうがのっそりと部屋にいるじゃないか! 灯りもついているし、なんて温かいんだろう! 私は「ぽかん」としていたが、めしだは笑いころげた。「お、おかえり・・」という何気ないフレーズが、ツボにはまったらしい。私は「すまん、すまん」という感じで、いそいそと部屋を出て行った。「そんなにおもろいんかな?」と、ちょっと混乱しながら。とりあえず私は、怒られなくてよかったと、内心ホッとしていた。

もう戻ってこない、自由な時代。どこか抜けていて、おおざっぱで、なにより無責任で。あんな「季節」は、もう二度と戻ってこない。今もあの「顔を見合わせた三秒」のへんてこな空気を思い出しては、ニヤニヤしてしまう。若い頃に自由であることって、大切なことなんだな。アラフィフになり、そうした若い頃の「自由」を宝石のように感じられるのは、私だけだろうか。最後にめしだ先生、勝手にエピソード使って、すんません。また呑みに行きましょう。(了)