バレンタインチョコの反省

IMG_0148お題を決めて語るコーナー! 今回は「バレンタインチョコの反省」というお題で、ひとつ文章を書いてみたい。まず、写真をご覧下さい。さる11日に、お蝶夫人♪とお義母さんから、バレンタインチョコをいただいた。私が外出してしていて、帰宅したら書斎の机の上に、ふと置いてあったのだ。私は何の気なしに、そのふたつの贈り物を書棚に移した。もちろん、自分のタイミングで開封しようということね。でも・・夕食時に、お蝶夫人♪に諭される。曰く「そういう態度が、贈る側の気持ちを挫いてしまう」と。贈り物をもらったら、すぐに開封するのが礼儀だと。確かに、お義母さんへは、お礼の電話も忘れていた。これはいけない。


「自分の殻を守ろうとする傾向」・・これ、僕の欠点です。自分のルーチンを守ろうとして、外部からの介入を避けてしまう。だから過去には、新しいiMacが届いても、二週間くらい開封しないこともあったっけ。現在の自分の世界を保持しようとするあまり、他者からの贈り物なども、つい疎んじる(言い過ぎかw)ようなところがある。お蝶夫人♪は「あなたは贈ってくれた相手の気持ちを分かろうともしない」と批判する。いや、待ってほしい。分かろうともしないんじゃない。分かりたいけど、つい避けてしまうだけなんだ・・ここから、口論が始まる。あなたはいつもそう。それで相手がどれだけガッカリするか、分かってるの? いつしか僕は、うん、うん、と反省モードになっている。自分の心の内部を語ろうとすればするほど、言い訳めいた感じになる。結局のところ、現象的には彼女の言う通りだ。失礼極まりない。

こうしたことを夫婦で話し合ううちに、派生する様々の事柄が話題に上ってくる。うちの「夫婦げんか」は、だいたいこんな感じです(笑)。多くの場合、衝突していた感情は、発展的に解消される。「話せば、分かる」という奴ですな。さて・・こうしたディスカッションの中、仕事上のひとつの問題が浮かび上がる。K診療所での人間関係です。僕はあくまでも非常勤の人間であり、常勤医師の人事などは、もちろん「蚊帳の外」です。だから新年度が始まって、医局の先生方の「顔」が変わっても、たいてい無関心。ただ、今年度の初めにT先生がおられるのが、チラッと見えた。でも・・ふと無視してしまったのです。血液内科のT先生は、研修医の時にお世話になった記憶がある。そして舞鶴時代には、再生不良性貧血の若年女性を転送させてもらったことがあった。あれはとても生々しい経験で、汎血球減少の若年女性☞骨髄穿刺☞再生不良性貧血と診断。本心としては、自分で治療したかったが、なにぶん、その頃はひどい体調不良の時期。やはり責任ある治療をするには、舞鶴市内の他院におられたT先生にお任せした方がよいと判断した。あのときは、本当にお世話になりました。

でも・・あれから僕は、双極性障害の大きな渦に巻き込まれ、医師としてのキャリアに、大きな穴が開いたわけです。自分を取り囲む人間関係も、あの頃とはがらりと変わった。ざっと20年ですよ! 自分の殻を守ろうとする人間が、ふとそうした恩人に出会って、不本意にも「無視」してしまった。一度無視すると、どうしても挨拶できない。僕はそういう奴です。臆病なんです。根底に人間恐怖があると思う。それと医局という場所! 僕は「医局」が、空間的にも概念的にも怖いです。これはまさしく、研修医時代に培われたもの。医局はできるだけ避けたい、という心理が強い。入りたくない。僕のこうした「医局恐怖症」は、研修医時代のトラウマと密接に絡み合い、現在の自分を未だに縛りつけるのです。

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話が大幅にそれた。言いたいことは「自分のこころの殻」です。外部からの贈り物を受け付けようとせず、外部から視線をそらし、自分のぬくぬくとしたルーチンを守り抜く。逆に言えば、それだけ自我が傷つきやすいのでしょう。こうして文章を書いてガスを抜く日々は、ある意味で「逃避」なのかもしれません。生産的な逃避。昇華する逃避。ああ、こころの殻。今回のように、たまにお蝶夫人♪が、この「固い殻」をとんかちで割ろうとします。そう、彼女にとっては、こんなクソみたいな殻、邪魔なだけですから。そのたびに、僕は不快な気持ちになる。ほっといてくれよ、この野郎。でも・・こうした「殻を割ろうとする相手」がいるということは、人生において、感謝すべきことなんでしょう。「それは違うよ」と言ってくれる人がそばにいるのって、とても有り難いことです。これからも、この「とんかちと殻の攻防」は、延々と繰り返されることでしょう。「矛+盾=矛盾☞夫婦生活」という宿命的な公式が、ふと頭をよぎる。お蝶夫人♪さま、いつもとんかち、ありがとう。これからもよろしくお願いいたします。これは、素直な気持ちです(笑)。おあとがよろしいようで。「お題を決めて語るコーナー」でした。