今回は趣向を変えて、新聞記事を取り上げてみたい。私は読売新聞をとっている。断っておきますが、我が家に「右とか左」はないです。純粋なノンポリです(笑)。単に勧誘のおっちゃんが景品をたくさん付けてくれただけです。いわゆるナベツネは大嫌いですし。
話がそれた。昨年11月1日の記事。「眼科医の服部匡志(ただし)さんに、第20回読売国際協力賞」という見出しで、ほぼ一面を割いている。これを読んで、私はまず「大感動」した。なぜって、服部先生は学生時代に私と同期だったから。当時、それほど親しかったわけではない。四浪されているので、かなり年上だし「のぼー」とした風貌で、ちょっと近寄りがたいような感じだった。でも・・記事を読んで、こんなに立派になっておられるのかと、唸ってしまった。服部先生の概略を書き出してみます。
服部は病院に席を置く勤務医でもなく、開業医でもない。「フリーの医者」なのだ。北は盛岡、南は鹿児島へと全国どこへでも足を運び、白内障手術や最先端の内視鏡を駆使して糖尿病網膜症や網膜はく離の手術をする。そして、服部にはもう一つの顔がある。ベトナムで活躍する「赤ひげ先生」だ。日本で使用している内視鏡をベトナムに持ち込んで、医療活動を10年以上にわたって行っている。手術の件数は、12000人を超える。
ベトナムではまだまだ経済的に厳しい地域が多く、医師も少ないため病院で治療を受けられずに失明する人々が後を絶たない。たとえ病院に行ったとしても手術費の200~300ドルを払うことができずにあきらめてしまうケースが多い。服部はそんな患者たちから治療費をもらわず、日本で稼いだお金を使って手術をすることもしばしばだという。「患者は家族と思え」が服部の口癖。
調べてみると、今やこの「読売国際協力賞」以外にも多数の受賞歴があり、メディアにも相当に取り上げられている。書籍も出されているし、各界から絶賛の嵐という状況である。やや政治利用されてるかな?(安倍首相とのツーショットがあったり)という面もなくはないが、服部先生の器そのものが、なにしろ大きい。たぶん体制とか反体制とか、そういう軸では考えておられないと思う。おのれの信条に基づいて、道なき道を切り開いてきた「異人」という印象。
調べているうちに、最初の「大感動」とは異なる、何か「複雑で微妙な苦み」がこみ上げてきた。分析すると、それはいわゆるルサンチマンだという結論に至る。とほほ・・ ま、それは置いといて。現状、服部先生の活動はメディアを通じてしか、分かりようがない。つまり、我々が知ることができるのは、先生のごく一部である。メディアというのは、やたら「神」を作りすぎる。ある種のステレオタイプがあった方が、読者にとっては分かりやすいから。先生だって、たぶん「神」じゃないよ。勝手な神格化は、先生も困っておられるんじゃないかな?
服部先生の根本にあるものとは? まるちょうは、強い信条と野心だと思う。「野心」と言っちゃうと、なんか汚いように聞こえますが、かのクラーク博士も言いました「Boys, be ambitious」と。和訳では「大志」ですよね。そう、まさにその「大志=野心」がなくては、わざわざ東南アジアなんて行かないですよ。視野が逸脱するほどに広い。ベースには意気揚々たる楽天性。いや~、かなわん。信条について、次のエピソードを引用します。
16歳の時、死の床に伏している父親を侮辱した医師の心無い一言で、自分も医者になることを決意する。父親の見舞いに行ってナースステーションを通りかかった時、医師と看護師が話していたのを偶然、聞いてしまったのだ。
「82号室のクランケ(患者)は文句ばかり言って本当にうるさいやつだ。服部氏は一瞬、耳を疑った。医師は病気を治して命をつなぎとめてくれる神様のような存在だと思っていた。しかし、その医師が父親をさげすんだ。確かに医師にとって父親は、多くの患者の一人にすぎないかもしれない。だが、服部氏にとってはかけがえのないただ一人の父親だ。その父親があろうことか、命を委ねている医師から侮辱された。服部氏は、こんな医師がはびこっていては世の中はよくならないと憤った。そして「だったら僕がいい医者になってやる。そして、病気で苦しんでいる人に報いたい」と心底思った。
どうせ、もうすぐ死ぬのに」
ベトナムは社会主義国であり、たくさん働いても給料は同じ。だから初めは、ベトナムのスタッフの意識を変えるのが大変だったらしい。仕事が長引くと、とたんに機嫌が悪くなる。服部先生一人がオペ場に残って仕事をすることもあったという。先生は彼らに、次のように諭した。根気強く接していくうちに、次第に意識変容が起こったとのこと。
「患者さんは自分の家族と思え。患者さんが自分のお母さん、お父さんだったらどんな時でも手術をするだろう。患者さんにも家族がいて、みんな助かりたいと思っているんだ」
しかし所詮、これらはメディアを通しての情報の断片に過ぎない。ただ、ベトナムで一万人以上の治療を行い、現地の人には崇拝されるまでになっているということ。これは揺るぎない事実であり、我々は目を背けてはいけないと思う。「目を背ける」というのは、前述のルサンチマンの心理です。ポストモダンをのうのうと生きる我々に「大きな夢をみて、血と汗を流して実現すること」の素晴らしさを、不思議な苦みをもって教えてくれる。かの偉人の言葉「Stay hungry, stay foolish」を思いだそう。自分の生き方は、時代のせいにしてはいけないんだと、再認識させられたのでした。以上、新聞記事から文章を書いてみました。
カンブリア宮殿にて 初めて知りました。
服部先生みたいなDNAを持った医師がいたことで「日本には服部先生がいる。」誇りが日本人として持てることが嬉しいです。
これは世界に誇れる存在です。
> 吉岡さん
コメントありがとうございます。
服部先生は、同じ日本人として誇りに思います。
スケールの大きさ、楽天性、寛容性、行動力。
とうてい真似はできませんが、少しでも学びたいですね。