漫画でBlogのコーナー! お気に入りの短編漫画をネタに、まるちょうなりに語ってみたい。今回は「女ともだち/柴門ふみ作」より「長女」という作品を取り上げてみる。家族におけるカーストが、実は幻想だったというお話です。まず、あらすじから。
チカは五人家族の長女。小さい頃は、母が一家の全権を掌握していた。いつもヒステリックに怒鳴りちらし、子供三人の感情は萎縮して、内側にねじれこんでしまう。父は人の良さだけが取り柄のおとなしい男。うだつのあがないサラリーマン。家計は教師である母の収入によって、大きく助けられていた。チカは従順な副指揮官として機能していた。つまりこうだ「我が家では、母が父であり、長女の私が母であった」。あれから20年近くたち、母もめっきり気が弱くなった。妹のさおりは、タレントになりたいなどと馬鹿なことを言う。弟のみのるは、家族とろくに口を聞かない。父だけが相変わらず。チカは長女の気質が抜けきらず、寄ってくるのは情けないような男ばかり。ある日、さおりが結婚したいと言い出す。相手は30歳の離婚歴のあるバーテンダー。もちろん両親は大反対。母は怒鳴りちらし、父は黙り込む。母がさおりにビンタして、その場は幕引き。しかし翌朝、さおりが家出して大騒ぎ。
さて、ここから様相が変わってくる。母はオロオロと取り乱し、父は「見つかっても家に入れるな!バカ娘!」とキレる。怒鳴る父に脅える母。あれ?こんなの初めて見る光景だ。混乱しているところに、どこ吹く風だったみのるが「ここに電話してみたら?」と。実は、さおりは以前からちょくちょくみのるに相談していたのだ。
さおりは、その男の実家にいた。チカと母がその実家に向かう。よくできた相手方の両親だった。さおりはその実家で、過不足ない嫁として見事に振る舞っていた。その場の流れで、結婚するという方向で話がまとまる。母がチカに「許してやってね、結婚を認めてやってね」と気を遣うのが、チカにはとても違和感あり。
しかし帰宅したら、父は大反対。チカも母も歯が立たないが、そこでふらりとみのるが現れて、見事に父を説得した。ここでチカが思う「なあんだ、結局あたしなんかがこの家にいなくたって、みんなうまくやってくんじゃない」と。もうやけ酒だ。「そんなこんなで、もう25だぜえっ」ぐいっといくチカ。みのるが笑顔で応えて「まだまだ25」。
本作を読んだとき、まっさきに思い浮かぶのが「家族におけるカースト」だ。ちゃんと独立して、いわゆる「大人」になると、これが「幻想に過ぎない」と気づく。でも、子供の頃って、親の力(腕力、知力、財力・・)に圧倒されちゃうのね。力の恐怖って、ほんと絶対的だと思う。だからこそ、虐待というのは卑劣の極みであり、子供の人生を大きく狂わせる。ま、そこまで行かなくても、大人の力には、有無を言わせないものがある。私なんかも、母がわりかしキレやすい人だったので、作中のチカのように、いつも萎縮していた。父は優しく黙りこむ。子供の頃の親に対する「畏怖」って、ホントどうしようもない「壁」だよね。
結婚し独立して一家の主となると、そうした「家族というからくり」に気づくこととなる。あれほど束縛されていた「カースト」を、客観的に見れるようになる。大人になって、ようやく解ることってあるよね。子供ってそういう意味では、物事の表層しか見ていない。目に見える「上ずみ」だけを拾い上げて、物事を判断している。つまり、人間関係や物事の本質は分かっていない。関係性や物事には、常に「裏側」があるのだ。第三者が一番理解できないのは、夫婦関係だろう。子供の目に届かない、深い深いところで、夫婦のやりとりは為されているから。
家族におけるカーストが幻想だとしたら、それはナンセンスなんだろうか? いや、それは違う。家族は、おのおのが役割を演じている。だからこそ家族として機能しうる。つまり、どこかで「嘘をつく≒演じる」必要があるわけ。そりゃ、家族みなが「我が我が」となったら、それこそカオスですよ。秩序を生み出すには、善なる虚構が必要なんです。ひとつだけ個人的なエピソード。私の両親は、子供の頃、ほとんどいがみ合ったりする場面を見せなかった。本当に仲のよい夫婦なのだな、と思い込んでいた。しかし、老夫婦となった現在は、実家に帰るといつもピリピリした雰囲気。ふと子供時代を思い返し「あれは子供に配慮した、よき虚構だったのだな」と思うのです。「よき虚構」を演じようと努力するのは、社会性を考えた場合、素晴らしいことです。いわゆる「うそも方便」というやつね。
本作の一番のテーマは「長女という役目の辛さ」かな。長女って、幼い頃から甘えることが許されない。大人になっても「甘え下手」な女として、損な役回りになることが多い。好きで甘えないわけじゃない。甘え方を知らないだけ。仕込まれた長女の性格で、いつも男を逃してしまう。でも・・個人的には、こう思うんです。最後に勝つのは、長女的なオンナじゃないかと。甘え上手な女は、男は引っかかりやすいが、いざ一緒に人生を歩むとなると、ボロが出てくるように思う。「他力」には自ずと限界があります。人生そんなに甘くない。
家族の中で誰かひとり我慢してくれると、他の者はつい調子に乗って、その人間に甘えてしまう。こういうのを「精神的なたかり」とここで命名しましょう(笑)。長女って、たかられて育つんだね。ホントに損な役回り。そうした長女気質の方にアドバイス。どうか「人に甘える」ことを学んでほしい。人に依存して生まれることも、多々あります。ひとりで背負い込まないでください。「自力だけ」にも、自ずと限界はあるのです。今は損な役回りだけど、人生の後半で「大いなる収穫」がありますように。長女的オンナよ、ガンバレ! 以上「漫画でBlog」のコーナーでした。
この話はたぶん今回の話とは、ずれるかもしれないと思いながら書きます。
私は娘二人なので、いつかは嫁に出すべきと思っていますし、そのほうがよいと思います。
自分もよそさんで育った娘をいただいているわけで、うちの娘を「持っていかれる」ことに異存はありません。
ただ、どう見てもとんでもないような男とくっついてしまったらどうしようという危惧は持っています。
しかし、それはそこまで育てた親の責任と思っています。
人を見る目がない子供に育ててしまった責任は主として親あると思うんです。
ですから、娘たちには人間をよく見なさい、と言っています。
私なら父親の立場としてもし「どうしようもない男を選んできたと思ったら」、たぶん自分を責めるんじゃないかと思いますね。
怒鳴ったり、怒ったりできるほど、余裕はないだろうと思います。
結婚式では泣くんだろうな、俺・・・。
> カバ先生
年賀状、拝見しましましたよ。
娘さんの結婚式は、泣くよね~(ToT)
先生のご心配、私には100%分かるはずもない(資格もない)
のですが、相当なものだろうとお察しします。
年賀状、ありがとうございました。
あの写真で、いや~、そうなんだ~と思いました。
今回とりあげた漫画は、逆に長女は彼氏ができないという
設定です。それも親としては困るかもしれない。
でも先生、そういう状況って、やはり幸せなんだと思うよ。
愛娘さんの将来をあれこれ考えて、呻吟する。
いいじゃないですか。
娘さんに、幸あれ! ホント、心からそう思います。
立派な男性を選ばれますよう(←これもむかつくんだろ?w)
よき人生を歩まれますように。
結婚式では、思いっきり泣きなよ(´ω`)
>立派な男性を選ばれますよう(←これもむかつくんだろ?w)
いやそれはないわ!
自分も嫁はんもらってんだから、ええ男さえ選んでもらえれば文句はないよ。
(^^
> カバ先生
なるほど。
でも、娘の父って、ある意味大変だな~
小津安二郎でも観て、心安らかに。(^_^)
>小津安二郎・・・
(娘が)あそこまで年いかんうちに何とかしてほしいもんだな・・・
ま、いろいろ考えるわな・・(´ω`)