つみきのいえ/加藤久仁生監督・・ふたたび

「つみきのいえ/加藤久仁生監督」を久しぶりに観なおした。本作については、2009年に感想Blogを書いているんだけど・・ 今回またもや号泣しちゃったのね。ひどく泣いた。この涙は、いったいどこから来るんやろ? たった12分のサイレント短編アニメなのに・・ 頭が混乱する中、もう一度、違う切り口で書けないだろうか? そんな思いがこみ上げてきた。私は「分からないもの」については、徹底的に記述しないと気がすまないんです。

事の発端は、四月中旬のこと。故 A先生の奥様より、三回忌が無事おわったとのお便りをいただいた。とても丁重なお便りだったので、返事をなんのハガキにするか悩んだ。そうして選んだのが「つみきのいえ」のDVD付録のポストカードだったのだ。故人を想うという文脈では、わりと相応しいと思えたのね。返事を出し終わってから、1343991689_photoもう一度本作を観てみようかとなる。そうして、まんまと加藤監督の仕掛けた「魔法」にかかってしまった(笑)。

本作が公開されて、五年たつ。念のため、あらすじを記しておきますね。

地球温暖化による海面の上昇がひどい中、つみきのような家で生きる独りの老人。壁には昔の家族のポートレートが掛けられている。老人は海面の上昇にめげずに、淡々と生活する。ある日、お気に入りの煙草パイプが海の中に落ちてしまった。他のパイプでは納得できない老人は、潜水服を着て、さっそうと下へ下へと潜っていく。

そこで目にする、過ぎし日の風景。老人の中で、次々と忘れていた過去がよみがえる。つみきの部屋を下ると共に、過去をさかのぼる老人。病床の妻、娘の結婚、そして娘が小さい頃・・ やがて老人は一番下の部屋から海底(かつての地面)に出る。鮮明によみがえる、妻との出逢い、そして結婚。なんという幸せな日々・・ふと気がつくと、老人は独りだ。それが現実なのだ。下に落ちていたワイングラスを拾う老人。

そしてラスト。いつものように、独りで夕飯の老人。でもワイングラスはふたつ。そのふたつのワインを注いで、おもむろにカチンとグラスを合わせる。そこで暗転。

こうして、本編を参照しながらあらすじを書き起こしている間も、とめどなく涙がでる。何がそんなに心の琴線を揺らすのか? 改めて考えてみた。

la maison en petits cubes老人はいかにも人間臭い、いわば「不完全な存在」である。そしてなにより「この世に独り」なのである。これ以上の哲学的な「人間」の設定があるだろうか? そう、作画も音楽も表面的には優しいが、本作のコアには「厳しくて悲惨な人生の宿命」がある。加藤監督は、その「人生の深遠」を説明的ではなく、あくまでも複雑で重層的な作画で表現している。例えば、何気ない背景の描き方など、その手の込みようは、はっきり言って常軌を逸している。偏執的とさえ言いうる、そのこだわりは「作画における矜持」と翻訳すべきなんだろう。そして私が感じた「魔法」も、そのあたりに秘められている気がする。

ストーリーに戻る。潜水する老人に、徹底的に「皆がいて幸せだった過去」と「厳しくて独りの現在」の対比が行われる。なんという残酷。観るものは、胸が搔きむしられる。忘れていた方がよかった過去。想い出すから、辛くなる。でも・・ 老人は、決して逆上なんかしない。静かに、ワイングラスを拾うのだ。おそらく老人は、想い出をみつけたことに感謝しているのだ。全部、胸にしまいこんだんだね。



ラストの一見虚しくて哀しい乾杯は、何を象徴するのだろう? あの独特の雰囲気をひとことで表すとしたら? 「シニカル」という言葉が一番ふさわしいと思うのね。そう、人生とか現実とかって、嫌なくらいにシニカルです。でも老人は決して、ふてくされたりはしない。むしろ淡々とグラスを合わせる。b51baf8d425500e9333b-Lそれは愛しい過去への挨拶なんじゃないかな? 例えば、お墓参りで手を合わせるでしょ? あれに似ていると思うのね。独り現世に残されて、厳しい現実の中で生きていく。誰に勝つのでもなく、必死の形相というのでもなく。この「淡々と平凡に生きる」老人が、とても格好良いと思う。本質的には「孤独で悲惨な戦い」に違いないんだけど、それを表に出さず、あくまでも平静に生きる姿が、観るものに勇気を与えてくれるのだ。そうしたメッセージが、ごくごく短いカットで表現されるのが驚異的だと思う。簡潔の極み。

lamaisonenpetitscubes13本作は、何度も言うけど、観れば観るほどに味の出る作品です。良作とは、そういうもんです。観るごとに「新たな発見」が待っている。そしてそれまで気づかなかった「深さ」を感じて驚く。やがて自分にとっての位置づけが、ハッキリしてくる。私がもし、年老いて独りで生きることになったら、この短編アニメを心の慰めにして生きると思う。それだけの価値を、今回感じました。あるいは、そうした直感が働いたからこそ、号泣したんだと思う。孤独で悲惨だけど、愛すべき人生に、乾杯。以上「つみきのいえ」を再び観て、感想を書いてみました。