結婚10周年を迎えて

すんません、たまにはいわゆる「リア充」的なBlogも書かせてください(笑)。何かって? そりゃつまり、本日が10回目の結婚記念日なんすよ。巷では「スイートテンなんたら」とか、宝石屋さんとマスコミの共謀があるらしいね。でも心配ないよ。うちはそんな浮ついたもんには縁がない。じゃあ、せっかく10回目というのに、何の記念もなしか? さすがにそれは、ちょっと寂しい・・ あ、そうか。文章としてfamily残せばいいんだ。せっかく日頃、Blogを趣味とし文章の腕を磨いているんだし・・ここは一発、キメの文章を残してみる。俺にできることといえば、これくらいだもんね。

まず最初に我々三人の「始まり」の写真を掲げておこう。正式には10年前の5.11が結婚式なんだが、実は2003年の3月27日から三人の「家族としての生活」がスタートしたんです。この写真は、一夜明けて28日に撮影したもの。結婚式に撮影したのより「リアル」という意味で好きです。それぞれの表情に「新生活の匂い」が感じられる。我々は、まさにここから始まった(遠い目)。この10年間の主な出来事をまとめたので、ご覧ください。

2005年 栗東にマンション購入(草津☞栗東へ転居) ダイゴが中学入学

     スポーツジムへ通い始める Blog開始

2007年 減薬失敗 6月に一週間休職

2008年 ダイゴ高校入学 お蝶夫人♪の入院

2009年 自治会長になってしまう(厄年)

2010年 お蝶夫人♪が通信制の星槎大学で勉強開始

2011年 肺癌さわぎ☞結局問題なし(きりきり舞いの10月)

2012年 ダイゴ大学進学 お蝶夫人♪が「支援教育専門士」資格取得

2013年 減薬完了



一番の収穫というか、感慨深いのは、やはりダイゴの成長。10歳の少年だったのが、いまや20歳の成人なのだから。上の写真なんかみると、ほんとため息が出る。いろんなことがあった。多感な時期に、辛いこともあっただろう。でも彼なりのやり方で乗り越えてきた。よく大きくなったと思う(嗚咽w)。10代のリスクは去ったとしても、今度は20代の疾風怒濤が待っている。負けずに頑張って欲しいと思う。「親の心子知らず」なんて言いますが、彼はけっこう分かっている人だと思っている。自分の良さを知り、それを生かしてほしい。

さて、もうひとつの収穫。それはもちろん、私の減薬の完了。文字通り、いばらの道だった。2007年はまさに「家族としての危機」だったと思う。最悪、離婚もあり得ただろう。でも今思うと、やはりダイゴの存在が大きかったような気がするね。私とお蝶夫人♪だけだったら、別れていたかもしれない。あの頃の私の頭のなかは「この現実から離れたい」ばかりだった。本当に苦しかった。でも、最終的に「家族の治癒力」に助けられた。そういうの、あるでしょ? ばらばらになりかけたものが、再び集う力というか。あの年の夏から秋にかけて、そうした力が私を含めて、三人を癒していった。とても不思議だけど、確かな力だ。

お蝶夫人♪はこの10年、よく頑張ったと思います。我が家において、彼女は管理人であり、司令塔であり、優秀な教師だった。二人の無法者に、ずっと手を焼いてきた。また、二人のカオスな野郎どもを、教育してきた。つまり、こういうこと。お蝶夫人♪=左脳派、私とダイゴ=右脳派 という構図ですな。彼女は二人に「生活の基礎と実践」を叩きこんできた。そういう役回りだから、彼女はすごいエネルギーが要るのです。ダイゴが言うことを聞かないのは分かる。しかし我が家はそれに輪をかけて、私が粗相する。あるいは「言うとおりに動かない」。果ては上記の2007年だ。三人とも大変だったけど、一番の功労賞は、彼女にあげたい。彼女の尽力のおかげで、ダイゴの成長、そして私の減薬、どちらも達成できたのだ。本当にありがとうございます。

IMGP0320

冒頭に記したとおり、本日の「結婚10周年のお祝い」を象徴するものは、ケーキだけです。しまった、花を頼んどくの忘れた! 相変わらず気のきかんオッサン(>_<)。ホントに質素な錫婚式。最近は二人で写真も撮っていなかった。いかんいかん、こういうことはちゃんとしなければ。ダイゴは撮影で協力。

たかが10年、されど10年。「長いようで短い」とは、凡庸なフレーズですが・・やっぱ、長いっすよ。でも、ホントに充実した10年だった。自分に限って言えば、46年生きてきた中で、一番成長した10年だった(いろんな意味で)。しんどいこともあったし、泣きたいこともあった。でも、事あるごとに、三人で支えあってきた。本日は記念日だけど、あくまでも通過点です。また明日から、三人で頑張っていこうと思います。今後とも、よろしくお願い申し上げます。

IMGP0321PS 例年通り、ケーキはホール半周食いました。すんません(笑)。