罪と罰(2)/ドストエフスキー作

引き続き「罪と罰」をネタに語ってみたい。今回は#2の「スヴィドリガイロフの複雑怪奇」というお題で。この人を語ろうとするとき、まるちょうは途方もない無力感を覚える。キャラ分析しようとすると、ドスト氏の拳骨がどすんと落ちてきそうな感じ。私みたいな浅い読書歴では、相当に難しいと思う。もっとドスト氏の作品(悪霊、カラマーゾフの兄弟etc)を読んでからでないと無理だろう。したがって、とりあえず今回は「あくまでも分かる範囲で」書いてみたい。

この人のキャラの属性を羅列すると・・好色、本能に忠実、相当な教養あり、辛抱強い、独自の美学がある、包容力あり、死を恐れない、必要なら人も殺すほどの実行力、等々。自分自身を「奇妙で滑稽なのは、おれがだれにたいしてもまだ強い憎しみを持ったことがない点だ。仕返しをしてやろうという気にも、とくになったことがない。(中略)論争も嫌いだし、ものごとに熱中したこともない」などと評する場面もある。ひとことで言うと「混沌」。だから、単なる好色漢や悪党という言葉で表現できない人物なのです。その容貌を作中の描写から引用してみる。

それは、どこか仮面に似た、なんとも奇怪な顔だった。紅をさしたように赤い唇と、明るいブロンドの顎ひげ、それに、まだかなり濃いブロンドの髪をした、色白の、血色のいい顔である。目の色は青がかちすぎ、視線は妙に重苦しくすわっていた。この美しい、年齢とひどく不釣合いに若々しい顔には、何かおそろしく不快感をもよおさせるものがあった。服はなかなかしゃれた軽い夏もので、とりわけワイシャツはおごっていた。指には宝石のはいった大きな指環をはめていた。

この怪人は、ドゥーニャに胸キュンでペテルブルグに上京してきた。まるちょうは、この人を好きではないけど、それほど嫌いにもなれない。ルージンは最低な奴だけど、スヴィドリガイロフはある種の「哀愁」を漂わせていると思う。言い換えると「敗者としての悟り」みたいなもの。まるちょうは、そこに一種の「美学」、あるいは「矜持」を感じてしまう。例のドゥーニャとの「対決」の場面を再び引用してみる。ドゥーニャがスヴィドリガイロフを撃つのをあきらめて、拳銃を捨てたところから。

彼はドゥーニャに近づき、片手をそっと彼女の腰にまわした。彼女はさからわなかった。だが全身が木の葉のようにふるえ、目は哀願するように彼を見つめていた。彼は何か言おうとした。しかし、ただ唇をゆがめただけで、何も声にはならなかった。

「ね、わたしを帰して!」ドゥーニャは祈るように言った。

スヴィドリガイロフはぎくりとなった。敬語ぬきで言われたこの言葉には、どこかさっきまでとはちがったひびきがあった。

「じゃ、愛してないんだね?」彼は、おだやかにたずねた。

否定の意味をこめてドゥーニャは首を横にふった。

「それで・・愛せない?・・いつまでも?」絶望をこめて彼はささやいた。

「いつまでも!」ドゥーニャもささやいた。

スヴィドリガイロフの心のなかで、おそろしい無言のたたかいの数秒が過ぎた。彼は言い表しようもない目で彼女を見やった。ふいに彼は手を引いて、くるりと後ろを向き、足早に窓のほうへ行って、その前に立った。

さらに数秒が過ぎた。

「鍵です!(彼は外套の左のポケットからそれを取りだして、自分の背後のテーブルの上に置いた。ドゥーニャのほうはふり向いて見ようともしなかった) お取りなさい。早く出て行ってください!・・」

彼はかたくなに窓の外をながめていた。

ドゥーニャは鍵を取りにテーブルに近寄った。

「早く! 早く!」スヴィドリガイロフは、なおもその場を動こうとせず、ふり向こうともしないでくりかえした。しかし、この『早く』という言葉には、たしかに、恐ろしいひびきがこもっていた。

この場面、ドゥーニャを襲おうと思えばいくらでもできた。でも、スヴィドリガイロフは根底では紳士なのです。そんな最低なことはしない。ドゥーニャの「拒否の意思」を確認したら「おそろしい無言のたたかい」の後に、潔くあきらめる。この「おそろしい無言のたたかい」の内容とは何か? ずばり「死を選ぶことの決意」である。彼にとって、ドゥーニャの愛か、死か、どちらかしかなかった。28歳のまるちょうは、このスヴィドリガイロフの独特のダンディズムにしびれ、この「対決」をしかと胸に刻んだのだった。

ドゥーニャが部屋を出て行った後、残された拳銃をポケットに入れて、彼はぶらり街へ出る。まずソーニャを訪れる。ソーニャに「これからの生活で必ずいる」と言って、三千ルーブリの金を渡す。また、幼い花嫁(このへんが好色なのだろうか? 不可思議)を訪れて、破談の申し入れをして、その見返りに一万五千ルーブリを贈呈した。その後の彼は、まさに死に場所を求めて彷徨うのみ。一節を引用する。

彼はふたたび黙りこんで、歯をくいしばった。ふたたびドゥーネチカの姿が彼の前に現われた。それは先ほど、一発めを発射してから、ひどくおびえきり、拳銃をだらりとさげて、死人のような顔で彼を見つめていたときの彼女そのままだった。あのときだったら、二度も彼女をつかまえることができたはずだった。そうしたって彼女は、こちらから言ってやりでもしないかぎり、手をあげて体をかばうことさえしなかっただろう。彼は、あの瞬間、ふいに彼女が哀れになり、心臓がしめつけられるような感じがしたことを思いだした・・『えい、畜生! また同じことを考えている。こんなことはさっぱりと思いきらなきゃ、さっぱりと!・・』

怪人なのに、この繊細さ、弱さといったら! この複雑さが、まるちょうを捉えて離さない。最後に門衛の目の前で「これからアメリカに行くんだ」と言って、拳銃で自分の頭を打ち抜く。思うに、彼はみすぼらしい姿で死体を発見されたくなかったんだろう。白骨化したり、腐乱したりせず、ちゃんとした体で荼毘に付されたい。彼の唯一の「こだわり」だったように思う。

この怪人は、おそらく「新天地への旅立ち」を夢見ていたに違いない。その先導役として、ドゥーニャを選んだ。しかし、きっぱりと断られた。そこでちゃんと死を選べるという「潔さ」がよい。最初に「好きでない」と言っちゃったけど、わりと好きかもしれません。なんか嫌いになれないんだな。不思議なキャラです。次回はソーニャについて語ります。これまたひと苦労!(笑)