「妻をめとらば/柳沢きみお 作」を読んで(2)

体調がもうひとつで、続き書けませんでした。今回は「#2 結婚という生活形態について考える」というお題で語ってみたい。柳沢きみおという漫画家は、個人的には「巨匠」と言って差し支えないと思っている。本作の初出が1980年代。「結婚という制度に対するシニカルな考察」が、安竹課長と八一の会話という形で表現されている。


この30年以上も前の「予言」が、まるちょうは凄いと思う。組織や地域社会よりも、個を重視する時代。30年前に「わがまま」と言われたことが、今では「わがまま」ではなくなっている。高度経済成長の時代から、ポストモダンの現代へ。


人間はどんどん個人に近づいている。これは真実である。いちばん象徴的なのが、スティーブ・ジョブズが発明した、あのデバイスである。今や、電車の中でアレに没頭していない人の方が少ない。ジョブズは、ポストモダンの社会において、確実に「個人主義」を浸透させた。これは、良い意味でも悪い意味でも。そうして「他人との関係がどんどん希薄になっていった」わけです。柳沢さんの慧眼。


ズバリ、結婚の必要性について。2022年の現代において、人は「結婚する必要性」について、再考している、といえば大袈裟だろうか。少子化が叫ばれる中、家族を築いて子供を育てる意義について。それは「損なのか得なのか」? 思考が欧米化された現代人は、そう考えがちだ。いわゆるプラグマティズムですね。現実に少子化が進んでいる今、現代人は「結婚が損なのかもしれない」と気づき始めている。「結婚以上に価値のある何か」を求める現代人。あくまでも「自分のために」人生を生きたいと思う人たち。


そう、安竹課長は痛いところを突く。高度経済成長期は生きるのに、そんなに選択肢がなかった。毎日を生きるのに精一杯で、よそ見をする暇もなかった。実際、そうした生活は充実していたかもしれないし、それなりに幸せだった。しかし、多様性が支配する現代において、そして便利になってしまった現代において、結婚は絶対ではなくなっているのかもしれない。


このくだりは、本作の最後の方に出てくる。個人的に、柳沢さんのいちばん言いたかったことじゃないかと。ミドルエイジクライシス真っ只中の男が、八一に語りかける場面。つまり結婚とは「檻」である、という思想です。結婚に向かない男が結婚して、中年となり、子供が一人前となり手を離れて、がらんどうとなった「結婚という檻」の中にいる自分を発見する。「重くて、ごつい世界なんだよ。体がバラバラになるぐらいのな」 この言葉を90年代に生きるアホな若者たちに伝えたかった。そんなにやわに生きてたら、この男のようになっちゃうよ、と。

最後にちょっぴり私見を。結婚を快楽とみるか、試練とみるかで、評価は分かれると思う。快楽なら、別に結婚しなくてもいいだろう。それだけ現代は便利になっている。そうではなく、配偶者と子供と、試練を乗り越えながら生きよう、と思う人にとっては、大いに結婚は意義深いと思う。というか、こうなると結婚って、一種の宗教みたいやね。笑 結婚生活を長く続けると、ホント宗教のようになってくるから不思議。「重くて、ごつい」結婚が、風のように軽くなることを祈りつつ、終わりとさせていただきます。やっぱ難しい、このテーマf(^^;)