谷原章介について「偶像性」を語る

俺は谷原章介のことが、なにか気に食わない。それは反感なのか、あるいは劣等感なのか。ぜんぜん畑違いの彼に、そんな感情を抱くことは、馬鹿みたいなのかもしれない。でも、俺はとうてい彼のようにスマートで都会的になれない。この感情は「嫉妬」なんだろうか? 彼のことをネットで調べれば調べるほど、その完全無欠さが際立ってくる。そうして、軽いめまいを覚えてしまう。彼に関する情報を箇条書きにしてみる。

・6人の子持ち
・仕事はバリバリこなすし、家事もしっかりやる
・料理上手、子供の送迎もする、子供のバッグをミシンで手作り
・2012年8月に世田谷区に推定6億円の豪邸を建てる
・多趣味(野球はカープファン、サッカーはFC町田ゼルビアのサポーター、ゴルフ、サーフィン、音楽、ビリヤードなど)
・大型二輪免許あり、ハーレーにも乗る
・もちろん、長身でハンサム
・仕事は俳優業、MC、タレント全般になんでもこなす
・英語が堪能
・実父と義母が同居

どうです、お腹一杯でしょう? 20歳のころ「メンズノンノ」の専属モデルとなり、それから叩き上げの人生だと思う。要するに努力家であり、目の前のタスクを厭わず、挑戦する人なのだと思う。

例えば、外見が赤井英和みたいだったら、許せると思う。つまり「不器用さ」を醸し出す雰囲気があるならば、俺は共感し許せると思うんだ。赤井さんはお嫁さんがTwitterで「赤井さんのそのままの日常」を晒している。そして、たいへんな好評を博している。対して、谷原さんの「オフに隠されたリアル」は公表されていない。つまり我々は「偶像としての谷原さん」を見ているのだ。毎朝放送中の「めざまし8」への起用も、そのへんの「偶像性」に依る部分が大きいと思う。主婦がみて無理なく共感できるキャラね。谷原さんはその偶像性を壊さないように、慣れないワイドショーMCの仕事を頑張っている。いろいろバッシングはある様だけど、谷原さんは健闘していると思う。

突然ですが、ここで梶井基次郎の文章を引用してみます。

桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。(中略)俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。

梶井基次郎のこのモチーフについて、少し考える。「ダンス・ダンス・ダンス/村上春樹」における五反田くん。知らない人は、調べてね。もっと分かり易い例は、最近の事例でNHKの安倍渉アナウンサー。あなたは「ちょっと待ってくれ」と言う。もちろん、谷原さんはそんな「惨劇」を隠してはいない。ここで俺が言いたいのは「偶像性のもろさ」である。谷原さん、せめて家に帰ったら「だらしなくて、ありきたりなオヤジ」に戻ってほしい。ひとつ、よい唄があるので載っけておきます。

パパの歌(作曲:忌野清志郎 作詞:糸井重里)



ちなみに俺なんて、家ではオナラしてゲップして、トイレで粗相する。そうして、嫁に「何度言ったらわかるの!」と叱られる。俺の屍体はそこらへんに埋まっており、惨劇は繰り返される。そうして俺はこころ和むのである。谷原さん、くれぐれも偶像性に侵食されて、空洞にならないように。文章書いているうちに、心のトンガリが丸くなったな。