親族への手紙・・父の病状報告(1)

拝啓
突然のお手紙、なにとぞご容赦ください。私、CKの次男のMと申します。このたび、父の健康面について、どうしてもお伝えしたことがあり、この手紙を作成しております。自筆でなくワープロで失礼いたします。これもなにとぞご容赦くださいませ。送付先が多数に及ぶため、仕方ない面があります。すみません。

さて、本題にうつります。さる令和6年11月29日の午前6時ごろ、父は心筋梗塞を発症いたしました。午前8時半ごろ、私の携帯に父から連絡あり、救急車を要請。午前9時ごろ救急隊員が実家に到着したとき、すでにショック状態(上の血圧が70くらい)で、意識レベル低下もあり、かなり重篤な状況でした。京都市内のK病院救急へ搬送され、カテーテル治療を実施。冠動脈の閉塞は解除されたのですが、いかんせん重篤な心不全は改善しません。

父の病気の本態は、心筋梗塞に関連した重症の弁膜症でした。僧帽弁という弁を支える「腱索」という部分が断裂しておりました。しかも腱索下部の太い「乳頭筋」が断裂し、非常に強い「僧帽弁逆流」が生じておりました。この核心となる病態が掴めたのが、同日の14時ごろだったでしょうか。循環器内科の医師から「この状況を打破するには、若い人なら開胸して人工心肺を回して僧帽弁形成術をすることになるが、93歳という年齢を考えると、現実的ではない。残された選択肢は、カテーテル的な僧帽弁の修復術(マイトラクリップといいます)しかありません。そしてこの方法の経験が多いのはK医大病院の循環器内科です」との説明がありました。

マイトラクリップを実施するのかしないのか、については、ほぼ考える余地はありませんでした。それしか助かる方法がないとなると、それに賭けるしかありません。癌などのゆっくり進行する病気とは異なり「さらなる治療を、あえてしない」という決断は、非常に困難です。あれから二ヶ月弱たって、この大きな「判断」について、今もいろいろ考えます。果たして、あの判断が正しかったのか?

話を続けます。11月29日の16時ごろだったでしょうか。K医大病院へ救急車で転送する準備が整い、集中治療室の出入り口に我々家族(私、兄、私の家内)が呼ばれました。しかし、集中治療室では父の心停止の処置で、バタバタしていました。後から聞いたことですが、父は二度、心停止をしたそうです。医療スタッフの丁寧な対応で、心臓はふたたび動き出しましたが。K病院からK医大病院へ救急車で転送すること自体が、そうとうなリスクだったと思います。

K医大病院循環器内科でのマイトラクリップは、結果的には大成功となりました。3つのクリップが僧帽弁に装着され(3つというのは奇跡的だそうです)、僧帽弁逆流は60%減ったとの説明でした。時間は23時ごろでした。術後の父を見たとき、周りの医療機器の多さと、チューブ類の多さに、正直びっくりしました。医療側も家族側も、しっかり確信して進んできた道のりですが、こういう状況を父は本当に望んでいたんだろうか?と、感じずにはいられませんでした。