近況・・父の急変とその後の「奇跡」について(2)

16時くらいだっただろうか。「搬送の準備が整ったので、ICU出入り口まで来てください」とNsが言った。それからICUの前で相当待った。20分以上? ICUの扉が開いたままで、Nsや若いDrが走り回っている。心マ用の背板も見えた。どうも心停止→心マ→AEDなど? AMIによる重症心不全なら、十分にあり得ること。でも、父は耐えた。びっくりするほど多数の機器に囲まれて、父はICUから運ばれていった。すでに挿管され、バッグで揉んでおられたと思う。この重篤な状況で、K病院からK医大へ移動すること自体が、相当なチャレンジである。関係者のみなさま、Dr、Ns、コメディカル、救急救命士のみなさま・・ この方々の無私の熱量に対して、最大限の敬意を表するものであります。本当にありがとうございました。

タクシーがなかなか捕まらず、なんとか18時ごろだったか、ようやくK医大病院に到着。MitraClipを施行するために、呼吸血行動態がやはり不安定で、人工呼吸器とECMO(体外式膜型人工肺 ExtraCorporeal Membrane Oxygenation)まで導入されていた。この管だらけの現状は、父としては不本意だろうけど、急性疾患の流れとして仕方ないところ。主治医のT先生にも、例の「父の病歴」を渡す。腎機能がそこそこ悪いことに注目されていた。2021年の脳出血の時に、せん妄になったことも伝えた。管だらけの現状は、ICU症候群にはなりやすいと思う。

それから、延々と待った。循環器内科トップのZ先生は、MitraClipについて「今回は非常に難しいと思う。腱索断裂が乳頭筋レベルで生じているので、クリップしにくい。なんとか頑張るが、相当なチャレンジになると思います。クリップできない場合は、そのまま看取りとなります」とおっしゃっていた。ぜんぜん了解です、ありがとうございます。僕も、兄も、奥さんも、おそらくそれほどの期待はしていなかったと思う。だって、93歳だよ。お父さんは、十分に生きた。今年、父は地獄をみた。母の排泄の不調。老老介護の限界。母が老人ホームに入所したのが、6月9日。その日、父は開放感を感じていた。「ふるさとの舞鶴をもう一度みておきたい」と僕に語った。これから暑くなる頃。実際に、今年は夏が長かった。高齢者には、きつい日々だったと思う。秋になれば、父の願いを叶えることができないか?と常々考えていた。そうして、11月22日から舞鶴に一泊二日のふたり旅を決行したのだった。この旅の疲れが、今回の病気に関係があるか? 僕はゼロではないと思っている。でも、父としては満足だったんじゃないか。この「珍道中」については、後日、余裕のある時に文章にしたいと思います。



五時間くらい待っただろうか。背もたれのない椅子なので、腰の悪い僕にはこたえる。23時ごろだっただろうか、Z先生(老けて見えるが、僕より若い)がぬっと現れて「MitraClipは、うまく行きました。クリップを三箇所装着し(三箇所というのは、奇跡的とのこと)、僧帽弁逆流が六割減少しました」 実は実際の臨床で、Z先生には高齢者のASでTAVIを二例お世話になっている。白衣を着ずに、暗闇の中からぬっと出現されると「ふつうのおっさん感」丸出しなのだが、すごい人なのである。おそらく、虚飾を嫌う人なのだろう。本当に尊い人だと思った。ありがとうございます。

ICUに戻った父は、もちろん管だらけ。僕は医療人ながら「本当にここから、ある程度のADLに戻れるのだろうか?」と思わずにいられなかった。急変は否定できないので、奥さんには帰宅してもらい、僕は京都駅前のホテルに泊まった。けっきょく何も起こらず、いったん帰宅。11月30日(土)も休診としていただき、十分に休養した。

そこから、父の快進撃スタート。12月1日(日)にECMO離脱。12月2日(月)にIMPELLAを抜去。12月4日(水)に人工呼吸器離脱。しょうじき、レスピレータ離脱は厳しいだろうと思っていた。病院側のサポートも手厚いと思うけど、父の「生き残ろうとする力」は並大抵ではないと思った。ただ、腎機能が悪く、透析は回っている。12月11日(水)に見舞いに行った時は、リハを開始するところだった。Nsや理学療法のスタッフさんは、いきなり起立しようとする父を見て、とても驚いたようだ。父は野性的、本能的な人である。そして辛抱強い。普通の93歳ではない。

昨日、12月18日(水)に、K病院へ転送(寝台車にて)。高度な集中治療はいったん終了。実家により近いK病院で、おもにリハビリ全般を頑張ることになりそう。93歳である。病院側には「DNAR」を伝えてある。リハは頑張ってほしいし、父のADL向上は家族の喜びである。しかし、父はここまでよく生きてきたし、もうこれ以上、頑張らなくていいとも思う。11月29日の急変後、また会話できるとは思っていなかった。お父さんにも、病院のスタッフさんにも、ありがとうと言いたいです。僧帽弁のクリップが外れて、再び重症心不全となれば、その時はすぐに看取りになる。とりあえず、来年元旦は、家族四人でK病院に集まって、ひとときを過ごせればいい。ホントに激動の一年だった。93歳のサバイバーに大いなる敬意を表しつつ、、 以上「父の急変とその後の「奇跡」について」と題して、文章こさえてみました。