本当は誰もがやさしくなりたいのです

まず、この動画を見てください。



ある休日の午前、ひとりカラオケで気まぐれにこの唄を歌った。そして僕は嗚咽し、涙が止まらなくなった。歌詞の一部が心の琴線に触れたからだ。

本当は誰もが やさしくなりたい
それでも 天使に人はなれないから

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ときは5月24日(火)に遡る。一般外来の終わりに、事務次長さんが来られて説明された。つまり、水曜と木曜を担当している女医さんが、家庭の事情で出勤できない。なので、水曜日は僕ひとりの一診体制で、そして木曜日は本当はオフなのだが、出勤してほしいと。

僕はその場で、その要請を断れなかった。もともとノオを言えないタチである。T診療所が困っているのだ。そこで役に立てたら幸いなるかな。「本当に大丈夫だろうか?」と一抹の不安を抱えながら「やります」と返事した。

そうなると、火、水、木、金、土の五連勤となる。水曜日はもともとの出勤日だから、それは仕方ない。一診体制だから相当に忙しくなると思うが、やるしかない。でも、木曜日は大丈夫なのか? 結論から言うと、木曜日は楽な外来だったが、最後にAMIを診るハメになってしまった。定形的なAMIだったが、それでもやはりAMIである。最低限の緊張を強いられるし、そこそこに疲れた。金曜日は午後に心電図、土曜日も14時までの外来。

僕は双極2型障害という持病を持っている。この病気は慢性疾患であって、毎日たくさんの薬(リチウム、デパケン、アモキサンなど)を服用しつつ、なんとかバランスをとって生活している。くどいようだが、この病は「治癒」することはない。あるとしたら「寛解」であって、ふとした強いストレスで、そのバランスは崩れてしまう。

木曜日は、C病院から応援は無理だったのだろうか? あまりにも安易に休日出勤を要請されることに、だんだん疑念が湧くと共に、腹が立ってきた。そう、日曜と月曜はオフだったが、すでに双極性障害の状態は悪くなっていたのだ。具体的には躁転である。二日のオフで、十分に休養して、適度に運動もして、、と頑張ったが、ここには書けない家庭の事情もある。双極性障害が安定しないまま、火曜日と水曜日の外来業務をこなす。

ふと、今の事務長さんが僕の病気のことをご存知ない?という想念がよぎった。2007年に双極性障害が増悪して、一週間の休職をしたときに、当時の事務長さんに診断書を提出した。あれから事務長さんは二度交代している。申し送りされていない可能性はある。6月1日(水)の勤務後(14時半までの外来の後。疲労強し)に、会議中の事務長さんに時間を割いていただき、面談する運びとなる。

結論から言うと、今の事務長さんは僕の病気のことを知らなかった。ただ、所長の先生や事務次長さんなどは、2007年から同じメンバーである。情報が共有されていない? 継承もされていないし、共有もされていない? その「杜撰さ」に、いささか腹が立った。事務長さんに双極性障害のことを丁寧に説明する。飲んでいる薬とか、増悪したらどういう状態になるのか。管理者としては、知っておいて欲しいと思ったから。

言葉に熱がこもると、次第に声が大きく、高圧的な言い方になってくる。もともと躁転の影を抱えて長い外来業務を終えた後である。前述の通り「腹が立った」という感情のスパイスもある。事務長さんに対して、次第に攻撃的な態度になっていたように思う。こういう現象は、家に帰ってもたまにある。そういう時は嫁に「薬飲んだ? 今日は早く寝たら?」と迷惑そうな顔をされる。でも事務長さんは初体験である。相当に怖かっただろう。申し訳ないと思う。

ただー。この面談で伝えたかったことは、僕が双極性障害という慢性疾患を抱えていること。そして、状態が悪くなった時に、どういう変化が起こるか、知って欲しかった。それはまさに事務長としてのリスクマネジメントに関わることであり、必要な面談だったと思う。「知らなかった」では済まされない。もし僕をこの診療所で必要な人材と考えておられるならば。

事務長さん、ごめんなさい。怖かったでしょう。でもああした「高圧的で、易怒的な態度」を実際の外来で患者さんに「やる」ことは、ほぼないですよ。2007年の時はもっともっとひどかったので、リスキーでしたが。(ちなみに2007年の原因は、K診療所のT先生の無知から来ています) 誰も好きこのんで怒るわけないです。誰もが本当はやさしくなりたいんです。だから「サイレント・イヴ」を歌って嗚咽したんです。やさしくなれなかった自分を悔いたんです。以上、弁明的に文章こしらえてみました。