認定産業医という資格がある。この資格を継続するためには、五年間で最低10回の研修を受けなければいけない。これ、正直、めんどくさい。僕自身、産業医として働いたことがあるので、そのときは役に立ったとは思う。何事も勉強である。でも・・ やっぱりめんどくさい。この資格を取るときは、50単位を苦労して取得したのだ。やっぱり更新しとかないと、あの苦労が水の泡になる。
産業医研修会を受講される先生方は、だいたい上のような「めんどくさいけど、仕方ない」とう姿勢で来られていると思う。しかし、コロナ禍で研修会自体が長く休講になったりして、「五年」というリミットが容赦なく迫り来る現状。こちらとしては、すでに「研修の内容を選ぶ」余裕はなくなっている。なんでもいいから、とにかく受講して単位を埋める。
受講者の姿勢は十人十色である。もちろん真剣に、スライド資料に書き込みながら聴講する先生もいる。でも、多くはうつむきながら、ちょっとうつらうつらしながら、たまに演者の方を見るなど。「サイレント・マジョリティ」という言葉があるけど、まさにそんな感じかな。ぼつぼつ演者の語りやスライドを見やりながら、二時間が過ぎるのを待つ。
先日、研修会があった。粉塵環境に関する講習で、演者はベテランのT先生。あまり興味のある内容ではなかったが、ちゃんとした講習であった。こうした時、おそらく誰しもが「良心の呵責」を感じるのだ。演者がしっかりやっているのに、あまり内職的なことはしたらあかん。僕もiPhoneを少しいじってBlogの推敲をしていたけど、そこそこに聴講していた。やっぱり失礼だよね。
講習が始まって15分くらいして「その先生」は現れた。年齢としては60歳は超えているだろう。頭は茶髪で、染めムラがあって白髪混じり。急いで来られたのか、はあはあ言ってる。半袖のワイシャツはじっとり汗で濡れている。大きな鞄から、大学ノートを二冊取り出す。缶コーヒーをゴクゴク飲む。ひとつひとつの所作に「落ち着かなさ」を感じさせる。
まず、15分遅刻して入場できたことが「なんで?」と思った。ま、産業医研修会そのものが、そんなに厳密なものではないということか。「その先生」は、容赦なく「内職」を始める。我ら凡庸な受講生のような「良心の呵責」は、一切無い。我らサイレント・マジョリティを尻目に、作業に耽る。演者やスライドをみることは一切ない。
一時間経過して、5分間の休憩が入る。「その先生」は即座に席を立ち、新たな缶コーヒー(もうちょっと大きいやつ)を買ってこられた。よほど喉が渇いているのだろう。なら、初めから500ccのやつ買えばいいのに。講習の後半も「その先生」は、自分の作業に没頭している。そして「落ち着かなさ」の不協和音を醸し出す。「同調圧力」という見えない力を、感じないのか、あるいは抵抗しているのか。だって、席の位置だって前から四番目くらいなのだ。三番目の先生が、ちょっとうざったく見ている。
そうして迎えた講習終了時刻の15分前。「その先生」はおもむろに荷物を整理し始めた。例の大学ノートをしまい、作業資料なども全て、例の大きな鞄に入れる。そしてこれがたまげたのだが、二つのコーヒー缶をズズッと吸ったのである。「天を仰ぐ」感じで、ズズッと「コーヒーの残り汁」をすすったのだ。まあ、新しい方はまだいい。あの古い方のコーヒー缶をすすっているのを見て、げっとなった。細菌学も知らんのか。きたねー。そして15分前だというのに、そそくさと退室された。あれで単位がホントにもらえたのだろうか? なんか「その先生」も大したもんだが、産業医講習会側も、ゆるゆるやなーと思った次第です。まあ、あれは確実に臨床医ではないな。あんなんが外来医だったら、患者さんがかわいそう。以上、産業医研修会での人間観察について、書きました。