関本 剛先生の生き様と死に様について考える

まず、この動画をご覧ください。



関本 剛先生の紹介1976年生まれ。兵庫県出身。関西医科大学卒業後、同大学附属病院、六甲病院緩和ケア内科勤務を経て、神戸市灘区の在宅ホスピス「関本クリニック」院長。緩和ケア医として1000人以上のがん患者の身体と心の痛みを支える。2019年に肺癌(脳転移)が見つかり、「残りの人生は2年」と告知を受ける。それ以降も、治療に取り組みながら医師としての仕事を継続。家庭では一男一女の父。趣味はトロンボーンやギターの楽器演奏、サッカー観戦、フットサルなど。2022年4月19日に肺癌・脳転移の為、永眠。享年45。

私は思うんです。肺癌の脳転移という状況に遭遇して、おそらく普通に「怒り、不安、悲しみ、苦しみ」はあったのではないかと。いわゆる「取り乱す」ということ、感情の失禁、逸脱のようなもの。それはない方がおかしい。機械ではなく、感情のある人間なのだから。でも関本先生は、それを公には一切見せない。私は思うんだけど、それは緩和ケア医としての使命感、矜持だったのでは?

本当は「完璧な平静」というのは、ありえない。肺癌の脳転移という不利を背負った人間なのだから。でも関本先生は、ほぼ完璧に「平静」を演じられた。緩和ケア医というペルソナを最期まで全うされた。これは強靭な意志がないと無理。感嘆するレベルだと思う。そうしたコントロールを「体現」することにより、患者さんの心を和ませたり、勇気づけたりしたかったのではないか。

「どう生きるか?」と「どう死んでいくのか?」という問題意識は、表裏一体である。ふだんはどちらの哲学も意識の俎上に登ってこない。それはあなたが幸せだからです。例えば癌で「余命宣告」された場合、上記の問題意識は意識の浅い部分で、あなたを悩ませ苦しめる。このことは、関本先生が過ごした最後の二年間に、しかと表現されている。先生は「死というゴール」に向かって確実に近づきながら、それで且つ「毅然とごく普通に生きて」いたのだ。この矛盾をいつも抱えたまま、二年間を「濃密に」生きられた。

根底には「癌なんかに負けてたまるか!」という気概があったと想像する。ロジックでは「二年後に死ぬ」と分かっていても、生きるパトスは「そんなの関係ない、生きる!」と言っている。この二年間はそうしたロジックとパトスのせめぎ合いだったんじゃないかしら。常人であれば、どちらかが過剰になりバランスを欠いて、死期を早めることも多いだろう。関本先生がすごいのは、そのバランスを最期まで保ったことだ。

冒頭の映像は、2020年10月10日に制作されている。つまり病気が発覚してから、ほぼ一年後。脳転移だから、急な痙攣から死亡という可能性はいつでもあり得る。このあたりの行動は、とても周到で理性的。そしてそれから約一年半後に、永眠された。自身が仰るように、悔いのない45年間だったと思う。こうして平静に自分の死を語る関本先生に、多くの方が「何か」を学ばれるのではないか。それは「受容」という心の力であったり、「臨死」を恐れないという教えだったり。緩和ケア医として、最後に遺すことのできる「仕事」だったと思います。あの世で先輩たちと宴会三昧・・これは関本先生のユーモア。家族を残して逝くことだけが心配だろうけど、あの世で安らかに過ごしてください。よい「人生の見本」をありがとうございます。合掌。