「プーチンは今すぐ死ぬべきである」という説について

一ヶ月ほど前だったか、T診療所のNsに「平和を願うシール三枚」を渡された。そう、例のウクライナ侵攻のことである。そして平和についての短いメッセージを下さいと言われた。僕は戸惑ったが、医局の机にシールを一枚貼るのがやっとだった。メッセージ? 「プーチン死ね」は本質的だけど、物議をかもすだろう。「一人一人の命を大切にしよう」とか「戦争に反対します」とかでお茶を濁すこともできた。でもなー そういうのって、いわゆるステレオタイプなんじゃないかって。反戦を想うということは、とても大事なことです。大事なことだけど・・ 小さなメモ用紙に書くていどのメッセージに、僕の気持ちがアウトプットできるかというと、それは無理。結局、Nsにメッセージを渡すことはなかった。

僕はふだんは政治的な人間ではない。でも今、ウクライナで展開されている悲劇、地獄は、さすがに看過できない。ロシアによるウクライナ侵攻が今年二月に始まって、はや半年が経過した。大きなうねりの中心は、もちろんプーチンである。

プーチンは今すぐ死ぬべきである

これは野蛮な言葉であろうか? 彼のメンタリティはみなの想像以上に危険であるように思える。個人的に、彼に通常の生存権は与えなくていいとさえ思う。シンプルに死んでほしい。

プーチンに、いま全世界が迷惑している。これは事実である。おそらくロシア国民でさえ、迷惑しているはずだ。戦争のため、どんどん兵士が死んでいる。経済も悪くなっている。プーチンに対する不平不満が表沙汰にならないのは、言論の自由がないからだ。それが全体主義だし。

ユニバーサル・ハラスメント

プーチンのやらかしている迷惑行為を、こう表現してはいかがだろうか。

一般論として、リーダーはどこかに「悪」を孕むべきだと思う。例えば「叱る」という行為は、冷酷な部分があってこそできる。そうしてメンバーをコントロールして、集団をひとつのベクトルに乗せることができる。ただ、その「悪」に歯止めが効かなくなった時、リーダーは恣意的な支配欲に取り憑かれてしまう。これを例えば

リーダーの「カルト化」

と表現してみよう。オウム真理教の麻原彰晃とプーチンは「完全なトップダウンの構造」という点で似ていると思う。それこそが全体主義だし。両者とも下のメンバー(信者、国民)を操り、骨の髄まで搾取するのだ。

プーチンはヒトラーともよく比較される。おそらくだけど、両者とも最終目標は「世界征服」だろう(だった)と思っている。ヒトラーは志半ばで倒れた。プーチンは? 彼は核のボタンを保持している。だからヒトラーのように「普通に負けて死ぬ」というストーリーにはならないと思う。

平和は勝ち取るものだ。少なくとも、ウクライナのゼレンスキー大統領はそういう姿勢である。平和を祈ることは基本的な態度だけど、悪しき者は容赦なく善人を蝕んでいく。それに対抗するためには、戦わなければならない。悪しき者はこの世に一定数、厳然と存在し、我々は生きていく以上、それに抵抗する必要がある。祈りを無力だと言うつもりはないけど(実際、それは美しい)、現実の暴力の前ではやはり、祈りは無力である。

だからこそ、プーチンには、早く死んでほしい。事故でも病気でもクーデターでも、なんでもいい。彼の世界規模のハラスメントを、もういい加減やめてほしい。以上が、僕の平和へのメッセージです。こんな長いの、メモ用紙には書けないし、いささか過激だし。でも、Blogという媒体は自由なので、あえて正直に記しました。悪しからず。