泣ける動画ふたつ

以前にも言いましたが、WordPressの映像と音楽の親和性が高いこと。二月いっぱいは「映画コラム」「動画を語る」「音楽コラム」の過去Blog修正作業に没頭していました。いちおう、ひと通り作業しましたが、流した部分もわりとあります。だって、二月は今日でおしまいだし。三月は色鉛筆画に移っていきたいと思うし。まぁ、ある程度のことはできたと思っています(特に映画コラム)。その中で、パソコンに埋もれていた動画が、ふたつ出てきました。ちょっと泣けるやつです(→ハードル上げる俺 笑)。今回は、この動画で文章こさえてみましょう。

ひとつめ。これ何度みても泣くねん。なんでかなー 時は1984年のロス五輪、女子マラソン。ガブリエラ・アンデルセン(当時39歳)、その人である。なんでこうなったのか、Wikiで調べてみる。彼女は最後の給水スポットで給水に失敗している。8月の容赦ない暑さにより、熱中症になったとされている。


その様子から熱中症にかかっていることは誰の目にも明らかだったが、トラックサイドの係員に対しアンデルセンはゴールする意思表示をしていた。一方で、トラックサイドの医師はアンデルセンがまだ汗をかいていたことから、体の恒常性が保たれていると判断し、ゴールラインを割るまで続けさせた。アンデルセンの右足はほとんど動いておらず、右手はぶらつき夢遊病者のような中、競技場の大観衆の声援の後押しによって、競技場に入ってから5分44秒後、2時間48分42秒の37位で完走を果たした。ゴールすると同時に、係員に抱え込まれ医務室に運ばれたが、大事には至らなかった。

レース後、アンデルセンは「他のマラソン大会なら棄権していました。でも、五輪の歴史的な大会だったので、どうしてもゴールしたかったのです」「私自身の事がかなり大きく報道されていたんですが、私よりも最後まできちんと走って、ゴールした選手達の方をもっと取り上げるべきだと思ってます」と語っている。その後も自伝において「人生最悪のレース」とも記述している、とのこと。

本人にとっては「恥ずべきレース」だったわけ。でも、競技場での彼女のパフォーマンスは、見るものに「奇妙な熱狂」を引き起こす。我々が見ているのは「死を超えた頑張り」であり、そこにある強烈で純粋な意志だったと思う。彼女は自分を超えたのだ。これは、誰しもが抱く「憧憬」なんじゃないかしら。約5分のミニドラマ。自虐することない。

ふたつめ。レナードの朝(1990年、ペニー・マーシャル監督)より。嗜眠性脳炎の患者にL−DOPAを投与し、一時的に覚醒させたが、耐性により効果が薄れていったという原作をもとに映画化。なんといっても、ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズの二大名優の共演が話題。映像は、レナード(デ・ニーロ)とポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)の別れのシーン。



L−DOPAに対する耐性が進み、レナードはチック症状がひどくなっていく。そして、ポーラと付き合う自信を失ってしまう。「会うのはこれきりにしよう」と切り出すレナード。さよならと差し出したレナードの手を離さず、チークダンスに誘うポーラ。ここの一連の流れを「荒唐無稽」と取るか、素直に涙するかは、あなた次第です。ちなみにBGMは「Dexter’s Tune/Randy Newman作」。この美しい調べを、僕は愛します。ホントに美しくて、はかなくて、涙してしまう。本作の「核」となるシーンだと思っている。「そんなんあるかいな」という声が、どこからか聞こえて来そうだけど、この慈愛に満ちた調べが、このシーンに説得力を与えていると思う。

ここでは、レナードもポーラも別れについてお互いに、確信し承諾している。それだけに哀しくて、美しい。おのおのの「勇気」が表現されたシーンだったと思う。別れに際しての勇気。哀しいけど、気高い勇気。大好きなシーンです。以上、ふたつの動画について、語りました。