昨日、9月25日に、岡本太郎展(大阪中之島美術館)へ行ってきた。以前から「なんとなく」行きたいなー、と思っていたけど、「想いが結晶化」するまで時間がかかった。僕にはよくある現象である。ようやく重い腰が上がったのが、23日だっただろうか。25日は奇跡的にピンポイントで「行けるタイミング」だと気づいたのだ。で、24日の晩にHPへアクセスすると、「事前にチケット購入」という制度になっていて、25日はすでに売り切れであった。そうすると、当日チケットをゲットするしかない。どうも昼前までなら、なんとかチケット取れるらしい。その流れで、25日は8時すぎに家を出る必要がある。朝食をつくるのは嫁なので、彼女はえらい迷惑である。顛末を説明すると、たいそう蔑まれた。もちろん、僕は平謝りである。
とりあえず必要な資料を印刷などして、25日8時すぎのJRで大阪の福島駅へ向かう。福島駅から南下して10分くらいで中之島美術館に到着する。特段、難しい経路ではない。僕は油断していた。自分が方向音痴なうっかり八兵衛であることを、すっかり忘れていたのだ。
途中で軽い尿意とのどが乾いたので、ファミマに寄る。店内をぐるっと見渡すと、トイレはここにはない。「ま、いいか」と店を出て、また歩き出す。この時、やや風景に違和感を感じたが、「ま、いいか」とずんずん進む。確か、川があって橋を渡るはずだが、そういう景色になかなかならない。予定では九時半には美術館に着いているはずである。もうすでに十時前くらいにはなっていたと思う。
この時の僕の致命的で絶望的な間違いを、地図で表現しようと思ったけど、なかなか難しい。わかる人はわかるやろ。もうええねん。ほんま大失敗でしたー🤪
自販機の麦茶をゴクゴクのむ。緊張のあまり、喉が渇いているのにあまり飲めない。半分以上捨てた。もうこの辺ではすっかり頭が混乱していて、どんどん西に向かって歩く。iPhoneの地図アプリを使うことも考えたけど、手が震えて使う気になれない。とりあえず、誰かに聞こう、それしかない。うまい具合に、人気のないセブンイレブンを見つけた。店員さんに訊いてみると「これはぜんぜん場所が違いますよ! ここよりもずっと東です!」親切なな女性店員だった。尿意とのどの渇きがマックスだったので、トイレを借りて、缶コーヒーを買う。落ち着くんだ、大丈夫だ、自分に言い聞かせながら。
なんでいつも、知らないところにいく時は、もれなくサバイバルみたいになるんだろう? 早足で川沿いの道を歩きながら自己嫌悪。途中で警備員の方に再確認。「この方向でいいよ」との回答。その頃には、シャツとジーンズは汗でびっちょり。カーキのTシャツだったので、まるで敗走する兵士みたいだったかも。
とりあえずだ。10時半すぎには美術館に到着した。遅れること一時間。すでに当日チケットの販売は進んでいて、すでにすんごい行列でトグロを巻いている。もれなく「最後尾はこちら」プラカードのお姉さんがいて、うげげとなった。かろうじて14時入場のチケットをゲット。もうちょっとでホンマにアウトだったな。( ;´Д`)
以上、ぜんぶ終わって11時すぎ。おいおい、14時まで何すんねん?という塩梅である。とりあえず、消耗して疲弊した心と身体を休めるでしょう。喫茶店みたいなのを探していたが、ふとイートインのあるファミマを見つける。人もそんなに入っていない。僕はバウムクーヘンとタリーズのアイスコーヒーを買って、ひとまず休むことに。10分以上、阿呆のようにボーッとしていたかな。あ、ファミマのバウムクーヘンが最高に美味かった。タリーズのコーヒーもグッド。喫茶店より圧倒的なコスパ、これが嬉しい。
入場まであと2時間半ある。どうするか。人は真っ白な自由を突如与えられたとき、途方に暮れる。11時半なので、早めの昼めしを食うか。美術館のレストランはあまりに高い。なんたって、野郎のひとり飯なのである。そうだ、近辺のラーメン屋さんの資料があったんだ。美術館の東、徒歩5分くらいに「世界一暇なラーメン屋」というのがある。すぐに見つかった。見つかったはいいが、すげー行列である。ざっと20mくらいはあるか。でも現在、僕は時間が有り余っている身である。並んでやろうじゃん。
さて、この時点で13時すぎ。あと1時間何しよか? 朝にチラッと見かけた、国際会議場の喫茶店へ足を伸ばしてみる。2Fに喫茶店があるのだが、行列ができていて、ぜんぜん動かない。で、あきらめて、結局また例のファミマのイートインへ。本日は、まさにここが基点である。タリーズのコーヒーをお供に、iPhoneでSNSに投稿など、暇つぶし。
さて、13時40分くらいに美術館へ。50分くらいから入場OKとなる。さて、こうして迎えた「岡本太郎展」だが、非常に内容の濃い、よくできた展覧会だった。いやー、入魂である。量的にも質的にも、ゲップが出そうなくらい。待った甲斐あり。福島駅からこちらに来るときの拷問のような仕打ちは、次第に忘却の彼方へと去っていった。でも腰が悪いので、やっぱちょっと身体的に辛かったけど。
岡本太郎の絵画を自分なりに分析すると、まず第一に「潔い線」。潔いというか、凛としたというか、目の覚めるというか、そういう「線」。ときには「挑戦的でさえある」線。そして、その明瞭な「線」の背景でうごめく「動き」。それはときに不穏だったり、流麗だったり、あるいはモコモコしていたり、とにかく「動的な要素」が必ずある。そして、絵全体から理屈ではない「質量」を感じる。それはとりも直さず、岡本さんがその絵にどれだけコミットしたかが、観るものに伝わるのだと思う。個人的には、上記の「動き」は真似したいな、と思った。なんしか、動きのある絵が描けたら、それは僕の本望である。とても大雑把な言い方だけど。
くたくたになって、帰路につく。夕食後、3時間くらい寝て、深夜に起きる。書斎で岡本太郎展の図録をなんとなく読んでいたら、すごい発見があった。「え!」と思わず声が出た。岡本さんの年譜をざーっと見ていたら、「岡本敏子」という名前が出てきたのね。誰だろう?とググってみたら、パートナーの方だった。つまり、養女であり秘書であり、実質的な妻だった人だ。岡本さんは、天涯孤独で孤高の人だと思っていたのが、ひっくり返された感じ。ちゃんと影で支える人がいたんだ。たぶん岡本太郎って、事務的なことや金銭的なことは、苦手というか、関心がなかったんじゃないか。それを敏子さんが、しっかりバックアップした。そうして、岡本太郎は芸術のことに専心できた。なんか、わかるような気がした。岡本敏子さんの映像が残っていたので、載っけておきます。なるほど、という塩梅です。
以上、長くなりましたが、岡本太郎展に行ってきた「長い一日」について、文章こさえました。