近況・・Blogとか色鉛筆画とか、やってる場合ちゃうし(2)

そうして迎えた5月13日(月)。朝食を食べてJRへ。二本の電話を入れる。一つは実家へ「QQ車を呼んで、どこかのQQへ搬送。最低限でも母に浣腸をしてもらうこと」を伝える。もう一つは、母かかりつけのS病院へ「本日、QQ受診していいかどうか」。母はありがとうと。そりゃ、排便した方がいいに決まっている。S病院は9時以降にもう一度電話を欲しいと言われた。S病院はそういえば、最近消化器内科を閉じられた。病院の受け入れは難航しそうだった。

9時過ぎに実家に到着。S病院へもう一度連絡。しかし、やはり受け入れは無理と。そうなると、病院の交渉はQQ隊員に任せるしかない。とりあえずQQ車を呼ぶ。手際よくQQ隊員がフレキシブルな担架で母を地上のQQ車へ運ぶ。その日は雨で、なかなか大変な作業だった。そうしてQQ車の中で、いろんな作業。実家マンションの前の道路だったけど、結局30分くらい停車していたんじゃないかな。まず、前日までに母の病歴をまとめていたので、それを隊員さんに渡す。もちろん僕が医者であることも告げる。

隊員さんは、近くの二次QQであるK病院を当たられた。いろいろ接渉のあとで、やはり受け入れは無理となる。ここで不安がよぎる。「やはり便秘だけでは受けてくれるところがないのでは?」 QQ車は来てくれが、病院が見つからないという事態。隊員さんは、RN病院を打診してみると。RNは僕は行ったことがない。ここも、わりと粘り強い交渉が行われた。僕もその間に知恵を絞る。母が今通っているDS関連の病院(長岡京市)はどうか? 隊員さんに進言しようとしたら、RN病院QQが受け入れ可能との回答。内心「え?ほんまに?」という感じだった。

RN病院は実家からQQ車で15分くらいの場所。とても不安だったが、QQ担当の女医さんは、親切でよくできるDrだった。例の病歴を渡して、まず浣腸、できれば採血と点滴をして欲しい旨つたえる。女医さんは、二週間排便なしと聞いて、CT もやりましょう、と言われた。体幹部の皮疹についても、皮膚科に回すと。とても機敏で、RN病院ええやん〜、助かる〜と内心思っていた。患者や家族の不安を察知できるのは、医療者のキモ。

最終的に、浣腸で両手いっぱいの排便あり。採血はほぼNP(腎機能はNP、ただBNPは150程度まで上昇あり)。胸腹部CTも、もちろん便秘はあるけど、それ以外はNP。ただ、便秘については、下行結腸まで便が充満。そりゃ、これだけ便が貯まると、しんどいよなー。体幹部皮疹については、真菌などは認めず、すべて尿などのかぶれと診断された。女医さんはたぶん、母の介護面での不備も想像されたのだろう、担当ケアマネさんにも電話を入れられた。よくできるDrである。もちろん入院の線は消えた。でもこれだけコミットしてくれて、文句のつけようがない。

以上の結果を、父と兄と奥さんに伝える。兄はすでに実家にいなかった。ドライな人である。父に「これからタクシーで帰ります」と告げる。そう、最後の難関が残っている。QQ隊員なしでの帰宅である。二階の部屋への階段を登る作業は、かなり手強い。でも、やってみるしかない。93歳の父は「実家に着くまえに連絡くれ」と言ったが、現実的にはヘルプの当てにはできない。むしろ階段で二人して転倒→骨折とかなったら、目も当てられない。

院内では母はもちろん、病院の車椅子で移動。しっかりした排便と点滴後で、母の顔に精気は戻っていた。ハリがあるというか。さて、まず車椅子からタクシーに移動する必要がある。ちなみにタクシー運転手はそれを手伝えない。そういう決まりみたい。タクシー後部座席に車椅子を最大限近づけて、母に移動をうながす。なんとか行けそうだったが、左足が十分に挙がらない。「えい!」と左足を持ち上げて、後部座席に納める。車椅子を出入り口に戻して、タクシー出発。

実家に戻ってきた。まだ空は雨模様。さて、ここからが本番。母はすでにそこそこ元気を取り戻していて、スッと外に出ようとする。「待って待って!」と怒鳴る俺と運転手。ただ、母は確かに自立できていた。昨日からすると、すごい回復である。タクシー料金を払って、母のそばで軽く歩行の介助、あるいは見守り。そして例の難関、登り階段である。初めは僕がおんぶするつもりだった。腰がチョー弱い僕は、タクシーの中で「仕方ない、やるしかない」と念じていた。そして「おんぶするよ」と母に伝えると、苦笑いで「そんなん、ええよ」と。母は力強く階段を登り始めた。僕は自然と横で介助する形に。母は自尊心の高い人である。やるとなったら、やり抜く人だ。母を信じて、しっかりと介助した。右手で手すり、左は僕の腕。母はしっかりと登り切った。上で父が待っていた。

これがだいたい、午後1時半くらい。以前こうした時に「ほな!」と帰ってしまい、自分だけ桂川イオンで昼飯を食べて、奥さんから叱られたことがあった。「そういう時は、ちゃんと両親のご飯も聞かないと!」ということ。もっともな意見である。両親に「お腹減った?」と聞くと、減っていると。ほな、弁当でも買ってこようか。近くのV Drugで昼飯を買う。父は300円くらいの幕の内弁当を「ハグハグ」うまそうに食っていた。相当に腹が減っていたのだろう。母も巻き寿司を普通に食べていた。もちろん、ひどい尿臭の中で三人で食べたのだ。

とりあえず、僕のミッションは終了した。僕はくたくただった。明日からまた仕事である。ウォーキングする暇もない。とりあえず、仕事に影響はないようにしたい。そうして迎えた5月14日(火)、義父が倒れた。(続く)