近況をみっつ

ひとつめ。我が家の愛車、スイフト。購入して三年以上になる。僕がスイフトに乗るのは、月イチくらい。「自分の名義の車」という意識は、あまりない。だからというか「愛車精神」というのも、あまりないように思う。ま、言い訳といえば言い訳だけど。
ある日、嫁から「ガソリンが減っているので、ついでに入れてきて」とリクエストあり。翌日、南草津のクリニックを受診する予定があった。当日、いろいろ用事を済ませて帰路に着く。「ああ、無事に帰ってこれたな」と自分のマンションの機械式駐車場の前でたたずむ。僕は運転がそれほど得意じゃないし、月イチだと更に不安になる。事故がなくてよかった。ちょっとした充足感というかな。
ふとスイフトのリアにまわってみると、ガラスがドロドロ。そこで「洗車しなくていいのかな? ☞ ガソリン入れなければ!」という連想がはたらいた。あ、そっかーとなる。充足感に浸っている場合じゃなかった。国道沿いの行きつけのガソリンスタンドへ急行する。とりあえず、ガソリン入れよう。エンジンを切って、タッチパネルで受付。給油口を確かめる。あれ? 蓋があかんやん。なんかちっちゃいポッチみたいなのがないの? 押してもダメ。あれれ?
客は僕ひとりだったので、急がない。落ちつけ、落ちつけ。脳味噌をフル回転させて、運転席のレバーを引いてみる。これ、引いていいのかな? ドキドキ・・ (俺の名義(汗)


すると、ボンネットが「ボン」と開いた。これって・・


ドリフやん?( ;´Д`)


ちょっと自分でウケた。おもろいがな。よくみると、床に小さなレバーがあった。それを引くと、ちゃんと給油口が開いた。あとは洗車も「ドキドキしながら」無事済ませて、帰宅したのでした。逆に言うと、購入してから一度もガソリン入れたことなかったのだろうか。もう少し「自分の車」に愛情を注がなければと反省したのでした。


ふたつめ。医家芸術展が中止となった。フリーの時間ができたので、九月中旬から詰将棋に没頭することにした。ここ数年くらい?色鉛筆画の方に重心がかかっていて、詰将棋はややお座なりになっていた。たまに詰将棋を解いていても「以前のような頭脳の切れ味」がないように感じていた。イヤな言葉でいうと「詰将棋脳の劣化」ですかね。僕としては、将棋との関わりは人生が終わるまで続くと思っている。今は将棋は指さないけど、観戦は大好き。藤井聡太という天才が出現して、将棋界は俄然面白くなってきている。
僕は詰将棋は、勝浦修 九段の作品が好きです。実戦形で程よい骨があり、難解すぎないところが良い。「勝浦 詰将棋選集」という本が、途中だった。全部で100問で、90問まで済んでいた。ここはあと10問、コンプリートするでしょう! ただ、ラストの10問なので、やはり簡単ではない。難問については、三日くらいかけることも。ただ、ある程度で「初手カンニング」はする。そうじゃないと、前に進まないので。
詰将棋はとにかく、解けたときの爽快感に尽きる。あの快感は、やったものにしか分からんだろう。若いころは、二時間くらいぶっ通しで考えるなんて、ザラだった。でも54歳になって、そうした「思考の粘り」はなくなってくる。今は長くて、一時間かな〜。最終、第100番の問題は19手詰め。かなり気を張って臨んだが、60分で解けた。この辺が勝浦九段の優しさ。本来的な19手詰めなんてものは、僕みたいな棋力では解けっこないんです。最後に軽さ、味わいを持ってくるのが、勝浦流。この19手詰めよりずっと難しい13手詰めも、この選集にあったもんね。とりあえず、自分の将棋力がやや戻ったことを実感して、幸せでした☺️


みっつめ。実は九月から京都医報に投稿する権利はあった。ネタもずっと温めていたのがあって、外来でのAMIがらみの「微妙な判断」について論じるというもの。でもコロナ禍で、ずっと投稿できなかった。だって、投稿文の主旨がコロナと全く関係ないもん。医師会の先生方に「なんやこの人?」みたいに見られそうで、特に第五波の最中は自粛していた。第五波が収束して、平和な日々がやってきた! 第六波が来るまでに、投稿しちゃえYO! みたいなことで、ささっと書いて投稿しました。あ、以前Blogに書いた文をベースにしているので、わりとさっと書けます。もちろん、視点はかなり変えてありますが・・ 
医師会の事務方さんから返信あり。なんと12月開催の委員会で検討するそうです。こりゃ、実際に掲載されるのは1月中旬だな。気の長い話だの〜🙄🙄🙄 ま、いいんだけどね。