患者に優しいは、罪なりや?(まるちょう診療録より)

コンプライアンスの悪い患者さんというのは、一定数いらっしゃる。いわゆる「俺流」の人たちです。肺気腫のための吸入を使いながら喫煙する人。サプリメントを「だめ」と言われてるのに、ついつい取り寄せて摂取する人。糖尿病でけっこうな量を投薬されているのに、遅い夕食をガッツリ食べて、すぐに寝てしまう人(どんどん太る)。こうした人たちは、どこか自分の人生に「あきらめ」があるんじゃないか。人生を「なんとか頑張って生きる」という、医療者が望む「生きる姿勢」を、いつかどこかで捨ててしまった人たち。その人たちの背後にあるもの・・それは「弱さ」であり「依存」であると想像する。

60代半ばの女性。スナック勤務でお酒もタバコもやる。当科に通うのは五年以上になるか。高血圧で投薬開始。息がちょっとしんどいというので、レ線上肺気腫を疑い、スピリーバを処方。「先生、これよう効くねー!」と。こうした契機から、ラポール形成ができてしまい、そのまま当科フォローとなることって、わりとある。もちろん、この人はスピリーバを吸いながら、喫煙はやめていない。

僕は医療者としては、患者に甘い人間だと思う。元来が「管理者」に向いていないのかもしれない。その「甘さ」につけ込んで、コンプライアンスの悪い患者さんが当科に集まる、という構図はあると思っている。「患者に優しいは、罪なりや?」・・太宰みたい。笑

60代半ばの女性の話に戻ろう。今年の三月に徐脈と倦怠感で受診。脈が30台で、血圧の低下はなし。失神なし。心電図は、極端な洞性徐脈(R-R不整なし)。レントゲンはCTRがやや拡大あると思った。明らかな胸水はなし。ただし、左下肺野に腫瘤性陰影あり。念のため、採血も実施。BNP200前後、Na121。以上より、徐脈性不整脈(SSS?)に伴う亜急性心不全(+低ナトリウム血症)と診断した。左下肺野の腫瘤性陰影は、心不全に関連した(葉間胸水のような?)所見かな?とぼんやり思っていた。

現状、アダムス・ストークス症候群は認めない(失神など)。でも、帰宅OKとは、とても言えない。C病院への入院を粘り強く勧めた。しかし彼女は、断固拒否。どこまでも「俺流」。結局こちらが折れて、降圧剤の中にβブロッカーが入っていたので、とりあえず中止。利尿剤開始として、一週後に再診とした。途中で状態が悪くなれば、C病院QQ受診を。

一週後再診。βブロッカーを抜いても、やはり脈は30台。レントゲン上は、心不全は改善していると思った。そしてこの日は「知人」と名乗る男性が同伴。夫はいるらしいのだが、なんだかややこしいみたい。僕は引き続き入院を勧めた。その男性も「入院した方がいいよ!」と、その女性の背中を押した。ぐずりながらも、女性は入院に承諾。RC2病院の循環器内科へ紹介となる。

結局、その女性は入院適応とはならず、外来でホルター心電図を実施。8秒の心停止を認め、洞機能不全症候群(SSS)と診断。ペースメーカー埋め込みとなり、心臓はそれで一件落着。しかし、である。例の左下肺野の腫瘤影については、RC2病院の呼吸器内科にて、胸部CTで「肺がんの疑い」と診断。その後、同院で気管支鏡検査をされたはずである。思えば昨年ごろ、本人の希望で頭部CTを撮影したとき、放射線科Drの所見に「両側海馬の萎縮を認めます」との記載があった。つまり、この女性はあちこちに「生命の劣化」が認められる。なかなか「生きづらさ」持った人なのかもしれない。

当科に再診されたとき「タバコは吸っていい?」と苦笑いで訊かれて、即座に「ダメ」とは言えなかった。RC2の呼吸器内科の先生は、もちろん「絶対にだめ!」と叱責されたそう。まあ、医療者として当然の態度だけど、僕はそうしたステレオタイプな態度に、やや疑問を感じる。彼女はすでに肺がんであり、今さら禁煙にどれだけ価値があるのだろうか? 人生の敗者に、さらに強いダメ出しをするというのは、人間としていいことだろうか? 僕はその「弱さ」に、その人が「これまで引きずってきた人生」を、ついつい想像してしまう。いろんな傷があり、歪みがあり、混乱があった。彼らはそれを、うまく乗り越えられなかったのだろう。「斜に生きる」ことが習慣となった。そうした人に対して、僕は怒りとか軽蔑とかよりも「かわいそう」と思ってしまう。最後にもう一度。「患者に優しいは、罪なりや?」