12月9日(木)
夕方にジム。ふつうにしっかりとできた。夕食後、ストレッチをしていて「あ、これはダメだ」となる。「気力の欠乏」が急に訪れる。なにもする気になれない。
12月10日(金)
本日は午前に一般外来、午後に心電図読影。外来はやや混雑。14時前まで。仕事自体は、わりと普通にできたと思う。心電図は710枚だったが、イマイチ要領が悪かった。いわゆる「冴えていない」ように思った。
12月11日(土)
午前に一般外来。この日は受診者が少なかった。13時で終了。ただし、腰に違和感あり。ギックリ腰の芽みたいなやつ。
12月12日(日)
この日はオフ。うつやギックリ腰の悪い流れを断ち切りたかった。近所を軽く散歩して、自宅でPC作業など。ライブドア のデータ消去とか。昼寝の後、iPhoneのセッティングなどいじったりしているうちに、しんどくなる。そのままベッドへ。ホントはジムで歩く予定だった。ここで歩けていたら、違う流れになったのか? わからない。
いつしかベッドでずるずる寝ていた。夕食は食べたが、またベッドでゴソゴソ。気力の戻らないまま寝る。
12月13日(月)
この日もオフ。午前中はずっと寝ていた。昼ごはんを食べて、少し近所を散歩。なんとか歩けた。しかし、その後も気力が出ず寝てばかり。まさにうつのまっさかりという感じ。ただ僕の場合、きほんrapid cyclerなので、一日寝るとだいたい翌日はある程度は仕事ができる。むしろ軽躁状態となる。そのあたりの自分の「流れ」は、把握できている。その反面、ギックリ腰は次第に明確な痛みと自覚される。明日以降の仕事が、とても不安な夜となった。
12月14日(火)
本日は午前と午後の外来業務。やるしか、ない。腰痛あり、二条駅からタクシー利用。午前の外来は「大きなミスをしないように」これひとつ注意して、仕事していた。表情は固かったはず。自然な笑顔が出なかった。タイプミスが多い。でも、作り笑いでもなんでも、やるしかない。大過なく、13時15分に外来終了。
でもその頃には、躁状態になっていた。20歳大学生のカルテをチェックしていると、過去の頭部CTで「横静脈洞血栓症の疑い」と記載あるのを発見し「発火」。その大学生の症状は「過眠、気力が湧かない、頭が重い」だったが、「発火」した僕の脳みそは、すでに疾走していた。横静脈洞血栓症から脳脊髄液減少症合併を勝手に連想して、自分の見落としに慄く。そうして本人様へ電話して、結局、翌日来ていただくこととなる。帰路、小川珈琲にて入念に勉強などして。
その夜はひどい躁状態となる。悪夢のような夜だった。デパケン800mgとリチウム400mgを服用しても、ぜんぜん眠気が来ない。猛り狂うリビドー。眠るふりをして、午前0時となり、デパス1mgを投入して、ようやく4時間ほど眠れた。
12月15日(水)
本日は半日のみ、一般外来。一人目が例の20歳大学生。事情を説明して採血と頭部MRIをオーダー、一週後再診とした。(結局、これは騒ぎすぎだったことが後に判明)その日の外来は、かなりの混雑。昨日ほどの不器用さはなかったが、言葉が出てこなかったり「円滑」にはほど遠い。ギリギリのところで仕事をしていた。昼すぎに診た70代の男性。両瞼がバンバンに腫れている。この患者さんで、思考が停止してしまった。無理もない、その時、高次の脳機能は停止していたのである。僕はその奇妙な浮腫を診断できなかった。とりあえず様子を見てください、改善なければ再診してください、と伝えた。
帰路の記憶はほとんどない。帰宅して寝て起きたら、夕食だった。夕食を食べながらも、僕は上の空だった。そしてもちろん、疲労がどっかとのしかかっていた。
次回Blogにつづく。(まるちょう診療録)