(再掲)三つ数えろ/ハワード・ホークス 監督

俺は基本的に孤独な人間だ。それは「孤独になりたいから」ではなく、俺の生来の性質(あるいは病)から来ている。つまり宿命である。50代になって、そうしたことが分かるようになってきた。皆でワイワイやるよりも、一人でコツコツやる方が向いている。後者の方が、疲労に相応した生産が約束される。
こんな偏りのある人間を慰めてくれるのが、ボギー演じるフィリップ・マーロウである。初めて見たとき(サム・スペードもそうだが)、こうした世界があるのだな、と驚かされた。もちろん創作だけど、やっぱりなんか落ち着く。孤独に安住してはいけない。孤独の中で、自分のアイデンティティを護るために闘うこと。そう、彼ら探偵たちは常に闘っている。現実にはオタクみたいになることも多いけど、ボギー演じる彼ら偶像をみながら「よし、俺も!」となる今日この頃です。



「三つ数えろ」(ハワード・ホークス監督)を観た。私は本作と「マルタの鷹」が大好きなんです。やっぱ、ボギーですよ、ボギー。ハンフリー・ボガード演じる私立探偵が、永遠の輝きを放っている。なんでこんなに惹かれるんだろう? 言葉にしにくいけど、文章を書きながら、ちょっと考えてみたい。次のふたつの軸で語ります。

#1 好きです、ボギー
#2 個人と魑魅魍魎の対決という構図


まずは#1から。本作の主人公はフィリップ・マーロウ。初めて観たのは学生時代だったと思う。もちろん、ボギーは「フィリップ・マーロウ」という偶像を演じているだけだ。ボギーがリアルにそんな格好いいはずがない。でも、スクリーンに映し出されるボギーをみて、惚れ惚れとせずにはいられないのだ。ほんと、ため息がもれる。身のこなし、表情、発語のキレ、リズム、強弱。例えば、次のワンシーンを取りあげてみよう。いわゆる「聞き込み」なんだけど、これがとても粋なんだな。



こんなの、もちろん作り込んだカットなわけで、現実にこんな「聞き込み」なんて、あり得ない。でも、映画を観る側になったとき、こうした「おしゃれな聞き込み」を目の当たりにすると、ちょっといい気分になれるんだな。

原作は「大いなる眠り/レイモンド・チャンドラー作」である。ずっと前に取り寄せてから、全然放ったらかし。原作は読んでないけど、映画を観るかぎり、マーロウは孤独な存在である。一匹狼というか、自分のやり方で事を進めないと気が済まない。「マルタの鷹」のサム・スペードよりも「生活感のなさ」は強いと思う。ま、ハードボイルドという分野の主人公なんだから、と言ってしまえばそれまでだけどね。

If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive.
If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.
タフでなければ、生きていけない。
優しくなくては、生きている資格がない。

これ、他の作品のマーロウの科白だけど、まさにハードボイルドという分野を総括する言葉だと思う。

どんな男でも、どこかに「孤独」を隠し持っているもんです。そういう意味では、マーロウという偶像は、全ての男性にとって憧れとなり得る。というか、自分の「秘めたる孤独」を慰めてくれるような効用もあるかと思う。ため息が出るような「偶像」を持つということは、現実を生きる上で、とても大切だと思うんですよ。

次に#2について。マーロウは個人として動く。家族とかもない。まったくの独り。もともと、大富豪の娘に対する「ゆすり」の処理が依頼内容なんだけど、どんどん深みにはまっていく。殺人とカネが絡んだ事件。映画では、とても複雑すぎて全部はわからない。ただ感じられるのは「個人と組織(悪)の対決」なんだな。組織って表現したけど、これがもう、まさに魑魅魍魎なわけですよ。悪というのは、あちこちに根付いて、敵も味方も取り込んで、腐らせていく。そうした「関係性の闇」に、不敵な笑みをたたえながら向かっていくマーロウ。ときに殴られて大けがをしたりするが、やっぱ格好いいや。ラスト近くのお気に入りのシーンを見てみよう。



車中でふたりがお互いに告白するシーン。まずビビアン(ローレン・バコール)が「I guess I’m in love with you.」と前方を見ながらいう。それからマーロウが一方的にしゃべって「I guess I’m in love with you.」と切り返す。これも運転しながら、前方を見ていう。ぶっきらぼうに。たまらずビビアンは、マーロウの肩をぎゅっと掴む。・・いいね~ クールだね~

それから注目して欲しいのは、これだけ格好いいシーンを決めてきたマーロウが、今回の事件の黒幕であるマースとの対決を前に、手が震えて銃弾を床に落とすシーン。
ビビアン「震えているのね」
マーロウ「俺だって怖いさ」
ちょっとした描写だけど、ちらりと「人間としての弱さ」を表現している脚本がよい。かのフォークナーも関わったとされる脚本、さすがだね。生身の人間としてのマーロウ像を、しかとスクリーンに焼き付けている。

最後に。私は孤独を好む人間だし、組織は苦手です。会議でしゃべると声が震えるし、何よりすごく疲れる。本質的に「引きこもり人間」なんだな。でも人間って、独りでは大したことはできないし、他人と関わっていく過程で何かを学び、生み出していくんだよね。ああ、「個と組織」という構図。組織や関係性の背後に「魑魅魍魎」をみてしまう私は、やはり社会になじめない人間なんだろうか。でも、生きることは、闘うこと。そうした自分の恐怖と格闘しながら、自分を乗り越えていきたい。「リアルな格闘」の中では、善悪や勝敗は、はっきりしないことが多い。だからこそ、ボギーの痛快な活躍で、私のような「引きこもり人間」は、密かに溜飲を下げるのです。俺だって怖いねん。以上「三つ数えろ」で語ってみました。