近況・・Pfizerのあほんだら!(薄氷の二日間)

僕は双極2型障害で、アモキサンを飲んでいる。発病当時、いろいろな抗うつ剤を試して、アモキサンが一番しっくり来るように感じた。あれ以来、ほぼ30年くらいお世話になっている。最近、Pfizerがアモキサン生産停止を発表していたのは知っていたが、かかりつけ精神科の先生が何もおっしゃらないので、他人事のように流していた。

二月の中旬にようやく「アモキサンが生産停止で・・」と切り出された。楽天家の僕は「やっぱりそうなんや〜」とビックリ。ビックリというか、そんなの分かっていたはずなのにね。先生はアモキサンに代えてノリトレンを推された。同じ三環系というわけ。SSRIとか、いろいろあるのに・・と思ったけど、先生は先生なりのお考えがあるようだ。ここは従うことにした。

うつ病の患者にとって、抗うつ剤を変更するという行為は、医療行為でいうと外科手術に匹敵するくらいの侵襲があると思う。古い薬が身体から抜けて、新しい薬が有効血中濃度に達するまで、あるいは新しい薬が身体になじむまで・・ どうしても「空白」の時間はできる。僕はそのリスクをちゃんと評価できていなかった。

アモキサンをいきなり切るのは怖かったので、「アモキサン2錠、ノリトレン1錠」→「アモキサン1錠、ノリトレン2錠」→最後はノリトレン3錠というプランを立てていた。しかし、結果的にこれは失敗となった。つまり、アモキサンは身体から抜けて、かつノリトレンの血中濃度が充分に上がっていない状態ができたと思う。そう、うつ状態に陥ってしまった。

アモキサン減量開始から、ちょうど三週間後。3月6日(月)の午後から、身体が動かなくなった。ベッドで浅いねむりが延々つづく。夕方にジムに行く予定だったが、ぜんぜん無理。夕食は六割くらい。風呂は入る気力がでない。午前0時ごろにようやく入浴。ここで泣き面に蜂。長く寝たあとに入浴すると、僕は腰を痛めやすいのです。それ以後は、腰痛も持ちつつ、次は何をするかの選択を迫られる。

最近の僕にとっての「うつ」は、一日潰れたとしても、翌日からはほぼ元に戻る、あるいは逆に軽い躁転になることが多かった。でも今回は重症。結局、深夜に入浴後も躁転とはならず、すぐにベッドへ。明日の仕事の準備もしていない。寝ているわけではないが、ベッドに横たわるのみ。気がつくと午前6時半となっていた。

どうやって出勤したのか、よく覚えていない。整髪や歯磨きはする余裕がなかった。3月7日(火)は、午前のみの外来業務だった。今思うと、まさに「薄氷もの」だった。いちばん困るのが、薬の名前が出てこない。認知機能が落ちている。もちろん、集中力や注意力も。iPadを駆使して、なんとか凌いだけど、苦しい時間だった。でも・・ 急性疾患の重症などは受診されず。あるいは2診のS先生の方に回されていたかもしれない。S先生、すみませんでした。かなり長い間、午前の外来をされていたようだ。

早めに帰宅できたけど、昼寝ができない。疲れているのに眠れない状況がつづく。デパケン300mg飲んでも、あまり変わらず。これは個人的な持論ですが、うつという状態は「溜まる、停滞する」という状況があると、なかなか改善しない。「流れる、移動する」という動きがでると、改善の兆しが見える。詳細は記しませんが、その晩、その「移動」が生じた。産みの苦しみ、みたいな。自分の中では「ひとつのハードルは越えたな」と思っていた。

ただー、その日は風呂にも入れず。ずっとベッドに横たわり、ウトウト。気がついたらまた朝の6時半。またドタバタで、整髪も歯磨きもせず。ただ、朝食は全部食べたと思う。僕は左側臥位で寝ることが多いので、その日は左頭部にきつい寝癖(故 竹村健一の91分けみたいな)をつけたまま、外来業務をした。あ、そうそう、腰痛はマシになっていた。

その3月8日(水)の外来。外来の初めに、声がなぜかうわずる。妙に感動して泣いてしまう。あれ?変やな? と思って昨日を振り返ると、デパケンを全く飲んでいなかった。定期では、一日500mg飲むところを、ゼロ。実際にうつ状態になると、デパケンは要らない。でも、うつが改善して軽躁状態なると、抑制するためにデパケンが必要となる。「いかん、これは躁だ」となり、鞄からストックの古いデパケンを3錠(300mg)飲み下す。以降は、まずまず普通に患者さんをさばけたと思う。その日は受診者も少なめだった。重症もほぼなし。ツキはあったな。

Pfizerさん、儲かっているはずなのに、マイノリティを切り捨てる判断なのか。逆に、今からまたアモキサンに戻るとなると、それはそれで怖い。ノリトレンとの微妙な違いが、まだ正確には分からない。 あ、そうそう、9日(木)の夕には、軽いウォーキングをかまして、今はほぼ問題なく過ごしております。S先生をはじめ、T診療所のスタッフの皆さん、ご心配をおかけしました。お世話になりました。最後に、僕を全面的にバックアップしてくれた家内に、感謝いたします。彼女がいなかったら、確実に火曜と水曜は仕事に行けなかったと思う。とりあえず、アモキサン製造中止に伴う顛末を文章化しました。