8月14日土曜日、俺はT診療所で外来業務をしていた。受診者は少なく、外は土砂降りらしいことは分かっていた。 11時ごろ、嫁からLINEが入る。いわく「琵琶湖線が止まっている。18時までは動かないみたい」と。
午睡は俺のいのち。土曜の昼は心地よい眠りにくるまれて、週末というフリーダムに向かうのだ。それがなんと! 帰れないだと? ふざけんな。13時すぎに外来は終わる。外はザーザー降りだ。うぎゃー! CoCo壱まで歩くのは無理。まるみのハーフハーフで済まそう。満腹で外にでたら、さらにザーザー降りだ。どうせーっちゅうねん。ファミマで雨宿りするも、らちが開かない。土砂降りの太子道通りを、東へとぼとぼ歩く。そのときは、タクシーを拾って二条駅まで行こうというプランだったと覚えている。しかし、タクシーがつかまらん。足はぐしょ濡れ、グエー
西大路太子道まで出てきて、バスは走っていることを確認。四条烏丸まで出れば、なにかいいことありそう~ と、26番のバスに飛び乗る。車中で夕方までのプランを練ろう。 ・・といってる間に四条大宮である。iPhoneでいろいろ調べているが、あまり大した情報はゲットできない。ただ、M’s Hotelがわりと安くてセンスもよさそう・・という印象は頭に残った。俺は四条大宮で下車した。なぜ降りたか、ちゃんとした理由はない。なんつーか、野生の勘かな。
しばらく四条大宮の街をブラブラする。ここに来たの、いつ以来だっけ? 変わったような、変わらんような。大将軍サウナ、まだあるやんけ。お!王将みっけ! あっここのフルーツ、うまいねんな。等々、ちょっとウキウキしてくる。お、コメダあるやん! ここでプランを詰めていこう。
結局、M’s Hotelがいちばん安くてセンスもよさそう。Booking.comというサイトから予約をとる。もうその頃には、JRは18時以降も動かないという情報が入っている。なんだかんだ割引でスモールダブルの部屋を3600円で押さえることができた。とりあえず、足がずぶ濡れで冷え切っている。靴下を脱ぎたい。本来は15時チェックインだったが、交渉して14時半ごろ入室させてもらった。
M’s Hotelは、急場凌ぎにしては上出来なホテルだった! 窓の外はビルの壁だったが、この際、窓からの景色なんてどうでもよい。俺は靴をぬいで靴下をぬいで、ようやく不快感から解放された。ホテルのパジャマに着替えて、さっそく寝る準備。テレビをつけると、大雨で各地が大変なことになっていた。イッパツヌイテネル。興奮後抑制、これに尽きる。泥のような眠りが俺を包んだ。
18時ごろ目が覚める。シャワーを浴びて外出。控えめに言って飢えている。王将めがけてズンズン。知らなかったんだが、ここが王将の発祥の地らしい。ビル全体が王将なのね。スゲー! 俺は二階に通された。ちょっと悩んで、餃子、ニラレバ炒め、特製炒飯を注文。お腹が空いてたのもあるけど、めちゃめちゃ美味かったです。なんじゃこの美味さは~、というくらい。ハグハグお腹いっぱい。帰りにセブンで替えの靴下と下着、そして明日の朝食を買っておく。
部屋に入ってから、何をしたか覚えていない。いちおう風呂には入ったと思う。でも気がついたら、ベッドで気絶していた。起きたのが夜中の2時ごろ。常用薬は、夕方のぶんからない。緊急用に最低限のくすりはなんとかあるが、明日の朝からの分がない。明日の午後から躁転するリスクがある。「やばいなー」とつぶやきつつ、眠剤のんで寝る。
翌日、8時ごろ起床。セブンで買った朝食をいただく。あ、野菜ジュース買うの忘れた。セブンの豆腐とわかめの味噌汁はなかなかうまい。その後、ウダウダ。イッパツヌイテシャントスル。男性の生理は、逆説的なところがある。あるいは単に躁状態だったのか。ネットで確認すると、JR琵琶湖線は15時から運転再開となっている。いろんなオプションがあるけど、このホテルで延長が正解と思った。普通は11時チェックアウトだけど、2000円追加で14時まで延長できる。それから1時間テキトーに時間を潰して(移動もある)、15時の琵琶湖線に乗るというプラン。
10時半ごろ外出。コメダ がいっぱいだったので、タリーズで一息つく。とりあえず、珈琲が飲みたかった。あと、ドーナツ。手帳の整理などしておく。あと二時間くらい、どう過ごすか? そのとき、おそらく軽躁状態だったと思う。雨は止んで、夏の日射しがまぶしい。ちょっと歩こうと思った。どこへ? ☞駿台予備校へ。19歳で浪人時代、お世話になった。最近ふと英語の表三郎先生は生きているのか?と気になり、調べてみたら、80歳でご存命中だった。いざ、駿台へ、と歩き出す。するとiPhoneが鳴る。
母から緊急の電話である。なんでも四日前からひどいめまいがあり、しんどいと。脳梗塞の既往あり、バイアスピリンは飲んでいるが、やはり四日は長い。可能なら、かかりつけのS病院QQを受診して欲しい、今は付き添えないと伝えた。俺のほうがめまいしそうだった。19歳の登校の道のりを歩く。10分くらいしてまた母から電話。S病院は、今日は日曜日なので対応できない、明日にして欲しいと。明日も俺はあいにく付き添えないよ。疲労困憊やねん。兄を頼るように伝えた。でも詳細な問診から、おそらくBPPVと思われた。念のため、頭部MRIは撮ってもらって。母は了解した。
三条通をすぎ、二条通をすぎ、二条城にたどり着く。19歳に通っていた道だけど、わりと遠いな。そうして駿台京都校に着いた。ここも古くなったなー おそらく移転話とか、あるんやろな。玄関よこに「昨年度 K医科大学 56人合格」とあり、ほんまか!と目を丸くしていたら、事務のお姉さんに睨まれた。俺いま、ちょっとした不審者やもんな。
水分補給しながら、慌てて四条通へもどる。時刻は13時50分。ちょうどチェックアウトだ。部屋を整理して、ホテルをあとにする。その足で、CoCo壱へ。いつもの「チキンカツほうれん草3辛」を食べる。円町店に比べると、辛みが今一つか。そしてその頃、衝撃の事実が!
JR琵琶湖線の運転再開が16時に変更されている。うげげ。とりあえず、阪急と地下鉄でJR京都駅へ。案内で訊いたら、やはり16時と。あと一時間ちょっと、どうする? こういうときは、リフレクソロジー! Nature Gardenで50分のリフレクソロジーを受ける。ほぼほぼ寝ていた。ここはベッドで眠れるのがよい。あと、リプトンで軽くお茶して(女子多いのー)、また改札口へ。琵琶湖線に新快速が止まっている。よっしゃ!帰れるぞ! プラットホームは当然のことながら大混雑。でもなんとか栗東までたどり着いた。時刻は17時半。
その日と翌日の午前中は、躁転とひどい便秘を是正するのに大変だった。やはり定期薬は二日分くらいは緊急用として携帯すべきと悟りました。以上、だらだら長くなりましたが、帰宅困難で家に帰れなかった顛末を文章化してみました。