東京オリンピック2020について想う

俺は今回のオリンピック開催について、賛成でも反対でもなかった。コロナの現状を考えた場合、それは開催するのは無理があるようにも感じるし、その一方でアスリートのみなさんのことを考えた場合、再延長となると、それはつらい。なんといっても、アスリートの輝きは短いのだ。我が家はオリンピック反対論の色が強くて、テレビで競技の模様が映し出されることはほとんどない。それでも、ネットニュースとかでちょいちょい様子をうかがっていた。

8月7日の夜、外出先でラーメンを食べていた。そばに大きな液晶テレビがあって、走り高跳び女子の決勝を中継していた。その選手たちの鍛え上げられた肉体に、躍動する筋肉に、釘付けとなった。そして、選手たちの溌剌とした表情! 陸上競技は、感情を表に出した方がいい記録が出るのだろうか? オーストラリアの選手だったか、バーを超えて跳んだ! 背面飛びが決まり、歓喜の閃光が弾ける。俺はラーメンを忘れて嗚咽しそうになった。あふれる涙を店員さんに見られないように、俺はテレビから視線を外して、ラーメンをすすった。

スクリーンショット 2021-08-09 21.47.50


そのとき、俺はうまい塩ラーメンとオリンピックに元気をもらっていた。どんだけ鼓舞されるんじゃ! 店に入ったときと出るときでは、全然テンション違うし。「オリンピック的なもの」を求める自分が、やはり居るんだろうと思った。オリンピック的なもの? それってなんだろう?

いろいろ考えたけど、結局「純粋さ」という結論になると思う。肉体と精神を鍛え上げた世界中の最高峰の選手が、ルールにのっとって痺れるような勝負をする。一瞬の高揚のあとに訪れる、平静なスポーツマンシップ。それは決して憎しみとか、殺し合いではない、純粋な戦いなのだ。それこそ「スポーツ」の健康で美しい側面なのである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー


2013年に東京オリンピックが決定したときはよかった。2020年から新型コロナウイルス感染拡大。2020年はいったん延長。そして迎えた2021年。再延長論も根強くあったと思う。オリンピック中止を叫ぶ人たち。その中止論に反対する人たち。体制と反体制、右と左。SNSを見渡すと、そこら中に小さな衝突があり、冷笑がはびこる。そうした分断をみて、俺はげんなりしてしまう。残るのは、後味の悪い疲労感のみ。

1980年のモスクワオリンピックのボイコットを思い出して欲しい。あのとき、どれだけ多くの夢が潰えたか。多くの純粋な魂が、国家や思想という「巨人」の足で、無惨にも踏みつけられたか。繰り返すが、アスリートのきらめきは短い。東京オリンピック2020は、とりあえず執り行われた。もちろん、いろんな思惑が交錯しているだろうし、巨悪が裏で動いているという見方もあるんだろう。でも、オリンピックは執り行われたのです。選手たちは精一杯、自分の実力を出し切った。それでいいじゃない。ボイコットだのなんだの、あんな悲劇はもうたくさん。俺は選手のパフォーマンスを純粋に信じる。右も左ももうたくさん。俺はあのオーストラリアの選手のイノセントな歓喜を信じるね。これから、コロナに向かって一丸となれたらいい。コロナ、なんとかしましょう。以上、東京五輪について私見を述べてみました。