別れ・・「女ともだち」より

「女ともだち」も、だいたい語り尽くしてしまった感があるのですが・・ ひとつ、かなり「深いやつ」が残っていました。女の中に棲む理不尽。これ女性みんながみんな、そうだとは言わないけど、わりと一般的にみられる性質だと思う。柴門さんがわざわざ作品化したんだからね。「女性にはありふれた性質」と思いますが。まずはあらすじから。

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タエコは27歳のスタイリスト。女ともだちに隠れて、高校時代の同級生の金沢くんとつきあっている。金沢くんは、イケメンで性格もよい。あたしたち、結婚するのかなぁ? ふとテレビに目をやると、結婚式場のCMをしていた。タエコはそのとき、この男にプロポーズされても全然うれしくもなんともないだろうな、と思っちゃった。そう思った瞬間、やになっちゃった。・・別れようっと!スクリーンショット 2021-03-11 21.05.45

金沢くんに別れを切り出すタエコ。あたしたち、いいお友達になりましょう。憎み合っているわけじゃないんだし(それは彼を愛していないということだ)。そのうち、金沢くんが泣き出す。彼に触れられて、虫酸が走るタエコ。早く出てけ!消えろ!



スタイリストの仕事をタフにこなすタエコ。あたし、強いんだもの、たくましいんだもの。こわいものなんてない。「希望」が残っているから、あとはどうでもいい。憎まれようが、疎んじられようが、のたれ死のうが「希望」だけは離さない。

タエコは一人暮らしである。ある日、玄関の鍵がガチャガチャと動き出した。「サツがくる前にこんなスクリーンショット 2021-03-11 21.06.58鍵あけてやらあ」と聞いたことのない声。通り魔? 鍵が開いたところで、金沢くんが彼女を救う。「きみ、本当はこわがりなんだ」「そうよ」 金沢くんは秋からマレーシア勤務なので、ついてきて欲しいと。タエコは断る。サラリーマンの奥さんになれたらどんなに楽かと思うけど。。 「女としてのスジを通したいのよ」

スクリーンショット 2021-03-11 21.07.43あたし自分のこと鬼だと思う。鬼ババアだと思う。だけど、女として腹の底からもう嫌なの。押さえきれないの。去っていく金沢くん。苦しむタエコ。理不尽なこの感情、ぬぐってもらえるならぬぐって欲しい。くるしい、くるしい、くるしいよ。笑って結婚できればどんなにいいか、どんなに楽か。ごめんねごめんね。でも嫌で嫌でたまらないの。そうして、スタイリストの仕事で上司にしかられるタエコ。女の「希望」だけは汚さず守り追っかけていく。「希望」・・幸福の花嫁、本当の恋。


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女は「A → B」とフェイズが移ったときに、引きずらないと思う。それをクールと表現するか、残酷と表現するか。男は引きずることが多いと思う。それをセンチメンタルと表現するか、時代おくれと表現するか。ちなみに、作詞家 阿久悠は「時代おくれ」という唄を書いて、男のそうした不器用さの価値転換を図った。「Aで十分やん」みたいな、俺流の男性像である。まあ、勝ち負けでいえば、女性の勝ちなんだけどね。 勝つことが全てではないという「人生の深淵」について、現代の男性はもっと学ぶべきと思う。阿久悠は、その辺のことを言いたかったんだとスクリーンショット 2021-03-11 21.06.23思うけどね。

遠藤くんは、いわゆる「育ちのよい、いい人」である。ただ一つの失策は、別れ際に「彼女が自分を嫌っていない」と頑なに信じたことだ。女は「A → B」という現象が起こってしまうと、もう振り向けない。そこにあるのは、深い溝で仕切られた「嫌悪」である。それは大した理由もなく、ある日突然「仕切られる」のだ。遠藤くんは、この「女の深淵」を知っておくべきだった。そうすれば、もっと潔い別れになっただろう。というか、遠藤くんもご多分に漏れず「A → B」の移動について行けなかったのだ。この理不尽な速度に。

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タエコいわく「女としてのスジを通したいのよ」と。この女のスジとはなにか? 同じくらい男女が思いあって結婚すること。遠藤くんは「そんなの奇跡に近いよ」と言う。まるちょうも同意である。大人の理性をもった人の意見ではない。要するに、この女は了見が狭いのである。妥協というものを知らない。そういう意味では、子どもである。タエコの自意識、美意識を想う。彼女はどこまでも「女」である。その「女としての病」が、彼女をどこまでも苦しめる。でも、そうして苦しんでいる間は「美意識を放棄しない強い女」なのだ。そう、彼女らは戦士であり「希望」を手放さない。それがあるかどうかも分からないとしても。彼女らの戦いは「大人になるまで」続くのかもしれない。大人になれば「愛は錯覚である」という拗ねた観点に行き着くことだろう。それがいいことかどうかはさておき。以上、漫画でBlogでした。