近況をふたつ

ひとつめ。ギックリ腰にまたなってしまいました。さる2月17日(水)の外来業務中。とくに何もしていないのに、グキッといった。いつもの左側。初めは「強めの違和感」くらいな感じだったけど、じわじわ「ちゃんとしたギックリ腰」という塩梅に。なかなか事実を受け止められず、落胆するのみ。外来自体もけっこう忙しかったり。午後は心電図もあったが、なんとか切り抜ける。帰宅してから、夕食を食べて四時間寝る。その後、躁状態になり眠れず。やや自暴自棄だったかもしれない。まあ、翌日が休日だったので、ひと呼吸おけた。

半年間に、三度のギックリ腰ですよ! 何が悪いんだろう? ジムで腰の筋トレをしすぎだろうか? ずーっと座っている仕事(自宅でも座っていることが多い)なので、腰は脆弱である。いったん悪いサイクルに入ると抜け出しにくい。


その後、わりと順調に回復していたが、22日(月)の休日に風呂場でまた「ギックリ」。これは体を冷やしてしまったから? 風呂場でギックリをすることが、わりと多い。さらに、翌日23日には(どうしても避けられなかった)無理をしてしまい、ギックリが「激痛」になってしまった。翌日24日(水)の仕事は、チョー忙しくて死にそうだった。本当のギリギリで、この正念場を切り抜けて、なんとか今(3月4日)は問題なく歩けるようにはなっています。まだジムに行くのは先だと思う。それにしても、水曜日の外来は17日(終了14時15分)、24日(終了14時15分)、3月3日(終了15時)という状況である。内科の会議でいちおう「水曜三診のプランは?」と訊いたけど、流されてしまった。今は個人の力技で持ちこたえているけど、あまりにも手薄と言わざるを得ない。まあ、梅雨に入ったらマシになるんだろうけど。僕だって、いつも万全の体調で仕事をしているわけではない。例えば、3月2日から義父が危篤状態だったりするし。毎日がサバイバルですな、正直なところ。最後は恨み節になってしまいました。すんまへん。

ふたつめ。まるちょうの診療録より。2月の中旬に20代の男性が祖母同伴で受診。主訴は下腿(時に腕も)の痛みと冷え。その症状はとくに前触れなく出現し、30分ほどで消失する。頻度は年に数回くらい。一番最初は小学生のころ。受診日の朝、足の冷えがあり痛みで目が覚めた。今まででいちばん痛かったので、心配にて受診。

当院整外科で診察されるも、神経学的には問題なし。喫煙はなし。以前はサッカーをしていた。診察では、両側の足背動脈がやや触れにくい。その時はバージャー病くらいしか頭に浮かばなかった。バージャーだって、あり得ないんだけど、、 なにか検査はしなければと、下肢CTアンギオのオーダーを入れる。簡単な採血では、もちろん特記すべき所見なし。腎機能OK、炎症反応陰性。一週後に結果説明となる。

翌日、Offだったので、藁にもすがる思いで嫁に「なにか思いつく疾患ある?」と訊いてみた。その場では「うーん。。」という感じだったが、僕が昼寝している時にメールが届いた。「レイノー病の可能性は?」と。なるへそ! レイノー病ならこの青年の症状をほぼ説明することができる。器質的狭窄ではない、スパスムによる狭窄、それからくる一時的な血行障害、冷感。小学生時に初発というのも、まあクリアできるかなと考えた。嫁さん、ありがとう。これでなんとか、あの青年を救えるよ。

自分なりにいろいろ勉強して、受診日にのぞむ。当然のことながら、下肢CTアンギオの結果はNP。下肢動脈に器質的な狭窄はない。そこで、おもむろにレイノー病について語り始める。しかし、である。本人様も祖母も、それ以上の精査や投薬は望まれなかった。なんなら大学病院とか大きい施設に紹介してもいいのですが?と打診しても、まるで他人事みたいな反応。結局、様子を見ることとなる。じゃあ、なんでわざわざ受診したの? 臨床をしていると、こうした「よくわからない」事例に遭遇することがある。たぶん、診断としてはレイノー病でいいと思っている。でも患者さんは、その「知恵」を受け取ろうとしない。医師と患者(家族)の関係性の不備で、こうした現象が起こるのかもしれない。臨床が「人間学」をベースにしている所以である。人間はファジーな存在であり、学問ほどに論理的にはなれない。ちょっと長くなりましたが、最近のもやっとした症例について記しました。