夏菜と背伸びと整形と魔法

この話は、ちょっとした勘違いから始まります。1月のある日、ジムの帰りにアルプラザに寄った。入り口に「おでかけmoa」というフリーマガジンが置いてあって、表紙が女優の夏菜さんだった。黒の衣装で大人っぽい印象だが・・ ふと「人工的な」ものを感じ取ってしまった。彼女って、過去に整形疑惑だのネットで騒がれたこともあり、ちょっと「ん?」となってしまったのです。(写真)

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でもね、こんな「当てにならない印象」って、まったく根拠がないわけですよ。彼女も今年1月に結婚され31歳。デビュー当時の「少女感」は、たぶん彼女のオリジナルだと思う。女優という仕事は、そうした古いイメージを「いい意味で裏切る」という使命がある。どんどん化けていくという仕事なんですね。ただ、インタビュー記事を読んでみると、31歳としては、やや幼い印象を否めない。彼女は整形はしていないとしても「背伸び」はしていると思う。それもやや苦しい「背伸び」。


僕はあまり「背伸び」はしません。阿久悠の遺した「時代おくれ」の男ですから。こういうのを良くいうと「自然体」ということになるんだろうか。どちらがいいとか、というのではなく、時代は「背伸び」の方向に進んでいると思う。大まかに言って、女性の方が「背伸び」しやすいでしょう。だからこそ、女性の方が「大人に近づく速度」は勝る。上記の夏菜さんも、懸命に「大人に近づこう」と頑張っているのだ。

整形手術について。これは「背伸び」の一種だけど、やや「反則」なのかもしれない。ビジュアル的な職業ならば、そういうのもありかもしれない。それで仕事がうまく行くかどうかが決まるんだから。ただ、なんとなく「近道を楽して行く」という感じもある。軽薄短小な現世において、整形のひとつやふたつ、ええやん?という意見もあろう。今使える技術をなんで使わずに我慢するの?みたいな、一種の実用主義。

ただ、これだけは言わせてほしい。内面の足りなさを外見で補うことは、決してできない。短期的にできたとしても、いつかボロが出る。内面を育てるためには、それこそリアルな時間が必要なのだ。整形という「魔法」は、その「リアル」と、どうしても齟齬が生じると思う。逆に、整形という「魔法」をかけてしまった人は、内面を磨くスピードを猛烈に上げる必要がある。そうしないと、ふと「馬車がかぼちゃになってしまう」という幻滅がやってくる。

それと、メイクでも整形でも言えることだけど、美への追求が強ければ強いほど、その人の「オリジナルな属性」は失われると思う。簡単に言えば、美しくすればするほど、無個性になる。その人らしさは消失する。やや難しくいうと「美のイデア」に呑み込まれてしまう。

最後に。夏菜さんが自分の「少女性」を恥ずかしく思ったとしたら、それは極めて的外れだと思う。自分のオリジナルなものは、死ぬまで離さない方がいい。背伸びすることで「自分らしさ」が損なわれるなら、その人はいつか「根なし草」になるだろう。あの時ふと感じた「違和感」は、そのような危惧だったような気がする。みなさん、ムダに大人にならないようにしたいものですね。また、えらそうに語ってしまいましたm(_ _)m