「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んで

おれたちは人生の過程で真の自分を少しずつ発見していく。そして発見すればするほど自分を喪失していく。



これはある一面では真実である。でも、もしこれが「全面的に」人生の真実だったとしたら、それは「人生とは生きるに値しない」というニヒリズムに陥らざるを得ない。

高校時代の強い絆で結ばれた五人。アカ、アオ、シロ、クロ(すべてあだ名)、そして色彩を持たない主人公つくる。それは確かにパーフェクトな組み合わせだった。ごく自然にある五本の指のように。それぞれの優れた部分をそっくり差し出し、惜しみなく分かち合おうとした。

冒頭の「虚無の言葉」を口にしたのは、36歳のアカである。学生時代は成績優秀で負けず嫌いな小柄な青年だった。アカは16年の間、さまざまの挫折と紆余曲折を経て、現在に至る。彼は生きていく中で、自己の反社会的な傾向に気付いていく。そうして必然的に出来上がった世界観は、虚無的で冷淡。そして不気味なほどにリアル。


人生とは、ある意味で「否定」の連続である。あるいは「否定」された周囲の人々のゴタゴタに振り回されることもあるだろう。人は誰しもそうした「災厄」を免れることはできない。その「災厄」でシロは死んでしまった。長身でほっそりして、モデルのような美しいシロ。彼女の奏でる「ル・マル・デュ・ペイ」は、もう永遠に聴くことはできない。

生きるということは、いつでもそのように苦しい。いみじくもクロが言ったように「悪霊がとりつく」ことだってあり得る。それくらい人生とは不条理に満ちあふれている。高校生時代とは次元の異なる、息苦しさ、せわしなさ、よどんだ重さ。我々は、そうした魑魅魍魎たる人生を生きていかなければならない。そこには孤独や排除、裏切りがあるかもしれない。あるいは裏切ったという罪悪感に、ずっと悩まされる立場もあろう。シロの場合は、自分の才能の限界に、大人の対応をすることができなかった。自分に対する幻滅が「悪霊」を呼び寄せてしまった。

本作のテーマのひとつは「大人になることとは?」ということ。ひとつだけ確実に言えるのは「傷を負って、それからどう立ち直るか」だと思う。立派に乗り越えてもいいし、ごまかしても、あるいは逃げてもいいと思う。生き残るのに、いつも正攻法を使えるわけでもない。ただ、そのときに自分がどう対応したかによって、その人生は大きく様変わりすることを本作は描いている。

フィンランドでのつくるとクロの抱擁。胸が熱くなる。人生の不条理に対する無力さ。でもそれに対して、生き残った者は精一杯に生きているし、これからも生きていかなければならない。この二人の抱擁の場面で、悪霊は退散しただろう。それほど切なくて美しいハグだった。クロの涙がなんと切ない。今を生きるってホントにしんどいけど、こうした「慰み」はホント美しい。

最後に、つくるの言葉を載っけておきます。「正攻法」で傷を乗り越えた勇者の言葉。歳をとるごとに、現実に押し潰されないように、そして理想を失わないように。村上さんはそう言いたかったんじゃないかな。

すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ。僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない。