近況をみっつ

ひとつめ。さる5月11日は、17回目の結婚記念日だった。妻からはあれこれ言われるけれど、僕は「結婚記念日を大切にしたい派」です。まあ彼女は認めないだろうけどね。当日、起きてからずっと何もそのことに触れずにいた。彼女も「今日はなんの日?ふっふー(ふるっ)」なんて科白は死んでも言わない。彼女もすでに期待なんてしていない。眼科受診のため、彼女は外出する。僕はオフのときはセブンへ昼飯を買いに散歩。先に帰宅して、寝室でいろいろタスクをしていた。妻は帰宅してから家事のつづきをしているようだ。正午すぎ。花キューピットのおじさんが、花(ネコ付き)を運んでやってきた。「まるちょうさまからです」ちょっと驚く彼女。そこへすかさず、日頃の感謝をしたためたカードを贈呈。こういうのを、サプライズというのですね。けっこう評判よかったです。あ、なんかドヤ顔みたいですが、うちの結婚記念日は山あり谷あり砂漠ありで、こうしたほのぼのとした雰囲気になれるのは、わりと久しぶりだったような気がします。砂漠のなかに凛とした花が咲かんことを。


ふたつめ。まるちょう診療録より。6月3日の総合内科外来。この日は二診体制で、しかもあとの一診がスポットのDrで、まるきりあてにならない。どれだけの力量なのか、うちのクセのある電カルにどれだけ順応できるのか。その日は緊張して仕事に入った記憶がある。9時台はわりと患者さんが少なかった。お腹が痛くなったので、トイレで排便を済ませる。「これでリスクも少なくなったかな」と、ちょっとホッとしたのも束の間。整外科からきついスルーパスが送られてきた。70代の女性の肺炎。すでに胸部CTが撮られていて、全肺野まっ白という塩梅である。咳はほとんどなし、痰は少し、38度台の熱あり。しかし、整外科で痛み止め(セレコックス)が処方されており、熱がマスクされていた恐れあり。CTの影は主に浸潤影~コンソリデーション。airbronchogramも認められる。コロナから非コロナか、これが大問題。コロナの可能性も十分にあるとして、採血実施。そうそう、SPO2は75-80%程度だったか。Nsに「先生、酸素どうしはります?」と問われて「とりあえず経鼻2リットルで」と応えたが、後から考えると「マスク6リットル」だった。アホまるだし、ごめんくさい。

採血はWBCが2万台、好中球ももちろん著明増加、CRP30台とか。Dダイマーも15くらいまで上昇。いちおうは細菌性肺炎を疑う所見である。非コロナとしてC病院へ転送した。ほんま「あわあわ」という感じ。僕は、その後も外来業務に忙殺されて、肺炎のおばあさんのことは忘却の彼方だった。ちなみに、あとの一診のDrがその日診た患者数は、たった2名でした。どちらも健診後フォロー。あ~あ・・( ;´Д`)

後で知ったことだが、その重症肺炎の高齢女性は、C病院QQを受診後、酸素化がひどく悪くなりすぐに挿管。敗血症性ショックとなり、ECMO目的にさらに三次救急(F医大学病院)へ転送されたが、状態が悪すぎてECMOまでも行かず、永眠されたらしい。新型コロナPCR検査は陰性だった。

この高齢女性は、整外科を受診した時点で、救命は困難だったと思う。本人様に「相応の重症感」がないんだもん。息苦しさも、それほど強く訴えられなかった。熱もそれほど出なかったし。ただ、そうだとしても、僕の外来対応はお粗末であり、いま振り返ってみても嫌な気持ちになる。あの日はまさに「孤軍奮闘」だった。T診療所の脆弱性って、どうなんすかね? この高齢女性の遺族が訴訟を起こしたら、僕は勝てるだろうか? 構造的なリスクヘッジって、夢のまた夢なんですかね?

みっつめ。ジム再開なのである。三月から自粛にて、屋外ウォーキングを週三回こつこつとこなしていた。4.5kmと3.5kmのコースを歩く。雨さえ降らなければ、ちゃんと運動は保証される。途中からジョギングを入れるのがいい感じになってきて、ウォークとジョグが半々くらいだったか。ジョグも後半はけっこう速めの(8-9km/hrくらい)やつ。「オレも53歳だけど、わりと走れるんだ!」という嬉しい確認。そして、走った後の爽快感は格別。ウォークだけでは、こんな気分の高揚はないと思う。

そして6月11日からジム再開。やっぱジムはいいね。水分補給がしっかりできるし、運動後はシャワーを浴びれる。マスクをしての運動はめんどくさい。運動するとマスクが汗でベチョベチョになるので、一回のジムで四枚くらいは使うかな。でも、降雨では屋外ウォークは到底むりなので、ジム素直にありがたいです。with コロナ、がんばりましょう。