表現とオナニーと覚悟と反逆ーー会田誠というアーチスト



2012年に東京六本木の森美術館で「会田誠 天才でごめんなさい」という美術展が開かれた。僕はその前後に六本木に旅行していた。そして森美術館にも行ったのだが、すれ違いになってしまった。でも、何かしら刺激を受けたんだと思う。滋賀に戻ってから、上記の美術展の図録を取り寄せた。そして、唸らざるを得なかった。

まず、少女を描くのがうまい。性的なタブーや暗さ、エログロにあえて踏み込む。権威への挑み、風刺。思想的にはやや右。ひとことで言うと「現代アート界における問題児」。図録に掲げてある「いかにすれば世界で最も偉大な芸術家になれるか(10項目)」を少し抜粋してみる。

●同じことはーーいや似ていることさえ、二度と繰り返すな。天才芸術家には毎秒毎秒記憶喪失を繰り返すくらいの、精神の鮮度が必要だ。

●指から伝わって魂が腐るから、金には触るな。というか、そういうものが腐ったこの世にあることを、最初から知るな。

●大恋愛と決闘は、定期的にやるとよい。

●仕事するな。何も作るな。

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彼の作品を、いくつか挙げておきます。彼のコアにあるのは「反逆」だろうと思う。それは世界に対して、社会に対して、他人に対して、そして自分に対して。だからこそ、アレルギーを起こして嫌悪する人も多いけど、熱烈な支持者も多い。図録につづいて「≒(ニアイコール)会田誠 ~無気力大陸~」というDVDを取り寄せて観た。こちらは、もうひとつピンとこなかった。リアルな会田さんを見るにつけ、わUnknownりと口下手でオナニー好きという印象を持った。さらに「カリコリせんとや生まれけむ」というエッセイ集を買ったのだが、そのまま放置。あれから七年経過して、ようやくこのエッセイを読み始めた。

そうして、衝撃を受けた。この人は、確かな文才も持っている! 美術という右脳的な才能以外に、とてもロジカルな脳を持っておられる。文章に「知性のきらめき」を感じるのね。上記のDVDでオナニー好きの無気力な印象が残っていた僕は、「すっかりだまされた」わけです。この人はとにかく「読者(視聴者)を面白がらせたい」というサービス精神が底流にある。そのためならば、自分の恥部や欠点など、大いに晒していいよ、という態度なんですね。器としては大きいわな。

ひとつだけ、書かせてください。このエッセイの中で強烈な印象を残したエピソード。会田さんが初射精した「ズリネタ」は、大場久美子だった。新聞広告の「週刊プレイボーイ」に載った大場久美子のビキニグラビアを、ビキニの部分だけ消しゴムでこすり取り、そこに想像力をマックスに働かせながら、皮膚の部分を描いていく。会田少年はこの作業に没頭しながら、いつの間にか絵画のスキルを手に入れていった。そうして磨かれていった「エロ絵」で、会田少年は気持ちよく射精したのである。それらの「エロ絵」は、やはり捨てるには忍びない。次第に隠す場所がなくなってきて、父(社会学の大学教授)の「マルクス・エンゲルス選集」の裏側のスペースに放り込むようになった。

会田さんは、この構造を「アイロニー」と表現する。つまり、現在の彼の作品に通底する「何か」がある。それはエディプス・コンプレックスだったかもしれない。つまり、権威的な父性に対するアンチテーゼ。彼はよく「なぜ少女ばかり描くのか?」と質問される。彼の答えは決まっている。「絵をより良く描こうと必死に努力する」という行為に限定して言えば、彼にはそこ以外に美術の故郷はないからだ。

等々、ほとんど自傷行為に近いほどの「自己の開示」なわけです。赤裸々なんてもんじゃない。自分の恥部をここまで細密に、しかしやや自省的に、そして分析的に書けるというのがすごいと思う。でも、だからこそ、文章に歴然と力が宿る。知らず知らず、引き込まれる。要するに「表現するときの覚悟」なんだな。表現するときに「制限を加えないこと」なんだと思う。というか「どれだけ壁を破れたか」。本作を読んで、彼の深さがちょっと理解できました。以上、会田誠という鬼才について、ちょっと語りました。