時計じかけのオレンジ/スタンリー・キューブリック監督


本作は何について語っているのか。それはずばり「悪の起源」だと思います。冒頭からひどい暴力の描写がつづく。山高帽とエドワード7世時代風のファッションに身を包んだ反逆児アレックス(マルコム・マクドウェル)。彼の愉しみは、いかに人間をいたぶり尽くして、その悲劇をあざけり嗤うか。今宵もドラッグ入りミルクを飲んで、社会的弱者に軽やかな蹴りを入れる! 盗み、強姦、暴力・・そこには慈悲のかけらもない。そうして、悪行はすべて隠蔽される。なんとスマートなサイコパスだろう。彼はまごimagesうことなき「悪」だけど、そこばかりに目が行くと、本質が見えなくなると思う。

アレックスは仲間の裏切りから収監され、犯罪的な性質を消去する「特別な治療」で、すっかり洗脳された模範市民に生まれ変わる。そこで彼に襲いかかる数々の「暴力」。これはすべて「かつての極悪スクリーンショット 2020-05-04 11.36.49アレックスに対する復讐」なわけです。相手は乞食だったり、かつての暴力遊びの仲間だったり。このときの諸氏の顔は、どれもこれもひどく「悪い」。どの俳優さんも、いい仕事しはるなー 人間って、自分の力が明らかに上で、下の人間に暴力をふるえるとなると、ほとんスクリーンショット 2020-05-04 12.04.14ど半笑いなんですね。暴力をふるうことが「正義」になってしまったとき、人間はなんて下劣な表情になるんだろうって。ここでは「悪の起源」は明らかに復讐です。

かつてのアレックスに血祭りにあげられた、反体制派の作家がいた。妻を輪姦され、自身は下半身不随の大怪我。妻はその後、肺炎で死去。その数年後、洗脳された模範市民たるアレックスが、またやってきた! 作家がまさにその「くそアレックス」だと気がついた時の表情といったら! 理性が吹き飛んだ、原初的、動物的な表情というか。もちろん監督の演出は入っていると思うけど、すごい表情だと思う。

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僕は死刑存置論者ですけど、こうした「復讐心」で理性が吹っ飛んで、幼児のような怒りやサディズムに支配されるというのは、やはり下劣なのかなぁ、と反省してしまう。死刑廃止論には、つねに欺瞞がついてまわる。ただ「死刑廃止」という思想の中には、上記のような「下劣な表情」を蔑視する流れがあるのだろう。高い知性を持つ反体制派の作家でさえ、下等な動物に成り下がってしまうという「復讐心」の恐ろしさ。「死刑廃止」は、その復讐心の克服を遺族に求めているわけね。高い理想だけど・・やはり欺瞞は残る。

閑話休題。この作家は、アレックスを陥れて自殺させようとする。そうすれば現政権に対して打撃を与えることができる。そう、アレックスは「政争の具」になってしまった。そこで登場するのが現政権の内務大臣。この俳優さん、在りし日の桂米朝に似て、すごく穏やかで知的、包容力あり。彼がアレックスに「特別な治療」を施したのだ。飛び降り自殺未遂から瀕死のアレックスは奇跡的に回復し、例の「特別な治療」の効果も消えていることが確認された。政府の支持率を上げようと、内務大臣はアレックスと友好の握手をする。

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結局のところ、いちばん悪いのは、この内務大臣じゃないかって。穏やかな表情の奥に隠された「血も凍る極悪」。国民のことを、その辺に転がっているネジくらいにしか思えない奴。その微笑みは、偽善という国家的な「悪」で染められている。アレックスに施された恣意的な「療法」は、暴力そのものなんです。国家による政策という流れに隠された、恐ろしい暴力。優しい微笑みにより、だれもそれが「悪」と気づかない。

さて、この暴力たる「療法」は、アレックスの何を奪ったのだろうか? それはずばりリビドーです。日本語でいえば「去勢」に近いかな。逆に言えば、リビドーこそが「悪の起源」だったわけです。ラストシーンが素晴らしい。リビドーの再臨を、短い映像でキメている。



キューブリック監督の頭の中って、どうなっているんだろう? 常人ではこうした絵や構図は浮かばない。凡庸な僕なんかは、呆れかえるばかりだった。そうして「完ぺきに治ったね」というアナウンス。リビドーは邪悪だけど、無ければ人間は生きていけない、というプリンシプル。困ったもんですね、ちゃんちゃん。