太陽が似合う男、説得され入院す(まるちょう診療録より)

この人は、いったいいつ頃から僕の外来に通うようになったのか。70代半ばの男性で、多弁多動で若々しい。60代前半くらいにしか見えない。舞台俳優のような、たとえば劇団四季の老年俳優だとしてもおかしくない。ライオンキングで、やんちゃなお爺さんライオンを演じているような。筋骨たくましい方なのだ。なんの病気で通院してるかって? 高血圧と不眠症です。タイに旅行するのが大好きで、まあ、常夏が似合う人ではあると思っていた。とても熱情的で、エネルギッシュな人だけど、僕は「この人、意外と人見知りかも」と睨んでいた。

一月の上旬に定期受診。「変わりないです!」と元気に受け答え。「そうですか~」と胸部聴診する。聴診器を胸に当ててみて、ハッとなった。かなり強い心雑音が聞こえる。これは~ 収縮期雑音かな。その上、心音が不規則になっている。この人はもともと、こんな強い心雑音はなかったはず。とりあえず、胸部レントゲンと心電図を撮りましょう。弁膜症からの心房細動が疑われた。


心電図は予想通り、心房細動。もともとこの人は洞調律である。心拍数は80程度。胸部レ線はCTRの拡大はないものの、右の胸水貯留あり。よく聴くと、体動時に動悸があったそうだ。さーて・・

医師として、この患者は帰せないと思った。弁膜症からの心房細動 → 急性心不全なんて、診断するのは簡単です。臨床医として苦労するのは、まさにここからのプロセスなんです。対象は病気じゃなくて、一筋縄でいかない「人間」です。この太陽が似合う男に「弁膜症で心不全になっています」と告げる。ぽかーんとされている。事態がのみ込めていない。もうちょっと踏み込んで「入院が必要です」と説明してみる。ここで目の色が変わる。「先生、それは困る! 今月下旬にタイに行くんです!」僕も応戦する。「タイなんか、心臓をちゃんと治して、それからいくらでも行けるじゃないですか!」 正論である。でも太陽の男は一歩も引かない。「先生、どこもしんどくないですから! ホラホラ!」 診察室で四股をふみだす太陽の男。懸命の「健康アピール」なのである。困った人だ。ちょっと脅かしてやろうか。「このまま放っておいたら、たぶん飛行機も乗れないですよ」 太陽の男は、ちょっぴり癪に障ったようだ。「ああ! 僕はタイで死んでも本望ですから!」開き直られる。

無益な押し問答が繰り返され・・ いかん、どこかに突破口を見いださなければ! そうだ、弁膜症なんだから、心エコーを打診してはどうだろう? 「入院はいったん置いといて、心臓の超音波の検査を受けていただけませんか?」 太陽の男は、これは拒否しない。「この検査はC病院でできるんです、その結果をみて、また考えましょうか」クレバーな俺。C病院のQQならば、マンパワーが桁違いである。心臓の情報も精確に把握できるし。

かくして、太陽の男ラ・マンチャは、T診療所から車で20分のC病院へ転送となる。その日は超多忙で、また通常の外来業務へと戻っていった。昼休憩は10分で、カロリーメイト四本と缶コーヒーというキツい日だった。全部終わったのが16時半ごろだっただろうか。診察室を出ようとして、ハッと我に返る。あのラ・マンチャ男はどうなっただろう? 電カルはC病院のカルテも閲覧できるようになっている。心エコーは、かなりの僧帽弁逆流だった。左心房拡大がひどい。心不全の程度としては中等度くらいだけど、血栓が怖いな。

ラ・マンチャ男は、C病院でもやらかしていた。入院は拒否「僕はタイに行くんです!」の一点張り。Y医師という女医さんが苦慮されていた。上級医に相談したり。でもこの症例を帰宅させると、なにしろコンプライアンスが最悪だから、状態が悪くなるのは目に見えている。Y医師も困ったと思う。そこで出てきたのが「家族に連絡」である。僕はカルテをみていて「この人、家族いたのか!」と驚いてしまった。妻と子供二人いらっしゃる。マジかよ! こんな「ザ・自由人」という風貌のくせして、ちゃんと家庭あったのか! おそらく妻に電話がいったと思う。そこでしんしんと諭され、ラ・マンチャは陥落した。

カルテをみていて、ラ・マンチャの捕獲劇に、疲れを忘れて感動していた。彼のいちばん苦手は妻だったと思う。Y先生、まえから優秀だと思ってたけど、大したもんだわ。しっかり心不全をコントロールして、そうしてタイにいくらでも行ってください。今度、外来にこられたら、さりげなく奥様や子供さんのことを訊いてみようかな? いつもと違う表情がみれるかもしれない(笑)。