その瞬間、僕は飛び上がって雄叫びをあげていた。まさに「はじけるように」飛び上がっていた。52歳にもなるオッサンが、羞恥のかけらもなく、喜びを噛みしめていた。
今年の2月に、自治会の体育委員をすることが決まった。10年前に会長職をやって地獄をみた。本当につらい一年だった。そして今回が「体育委員」である。2月にそうと決まったときは、大変にガックリした。僕という人間は、組織に向かない人です。人見知りだし、内弁慶、社交不安障害。会議は苦手、スピーチもダメ。大勢の前に出ると、何も言えなくなってしまう。カクテルパーティー効果で、宴会などでは、人のしゃべる言葉が分からない。要するにイメージとしては、書斎やアトリエで黙々と文章を書いたり、絵を描いたり、詰将棋を解いたり、そうしたことが向いている人なのです。医療においても、診療所の外来業務がいちばん楽。一対一の関係性ならば、まったく問題ない。
とは言っても、10年前と現在では、まったく状況が違う。10年前は、抗うつ剤の減量のまっただ中であり、極めて体調の不安定なときだった。現在は、持病の双極性障害はかなりコントロールされた状態です。だから、もうやるしかないと思っていた。体育委員を任命されて、資料を引き継いで、もう覚悟したね。なんでもやったるわ。一発かましたろ。52歳オッサンの開き直りですわ。
運動会のなにが辛いって、人集めですよ。ま、この僕だって、この10年間参加してなかったんだから、何も言えないんですけどね。一次募集かけて、ぜんぜん集まらず、二次募集かける。それでもパラパラ。ほんなら、個別訪問いったろやないけ? 8月の暑い夜に(日中はだいたい不在)、マンション中を駆けずり回った。だいたい1/3くらいの確率で、細々と手応えあり。ほんま汗だく、グデグデになった。たまに出会う「後光が差すような対応」があったりして、大いに力づけられた。「捨てる神あれば拾う神あり」とは、よく言ったものです。
そうして迎えた9月7日「運動会決起集会」。出席者、なんと4人ですよ!(ToT) 出席されたIさんお二人、Yさん、Sさん。貴重なご意見をうかがいました。俺、まじで「運動会成立するんだろうか?」と思っちゃったですよ。 ( ꒪⌓꒪)←こんな感じ。
翌日8日に新展開を迎える。W氏が動き出したのだ! そう、進撃のW氏である。このBlog読んでいる一般人は何のことかわからんやろね。サー○○の住人ならば、だいたい分かるはず。W氏にへたに逆らってはいけない。いかに共存共栄をはかり、WinWinを導き出すか。これが命脈なのである。
8日は僕は午前中仕事だったのですが、会長さんと僕にメールがぶち込まれた。もうすでにW氏は、進撃を開始していたのだ! 会長さんはやや焦っておられた。僕は仕事帰りで疲れていたが、ここは「一発かます」ためにW氏の自宅を直撃した! しかし、不在なり。メールで「今日、いつ会えますか?」みたいなことを送って、昼寝。するとほどなくして返信あり。電話番号もついている。もうこうなったら、寝てる場合ちゃう。アルプラのフードコートで、お互いの齟齬を埋める作業。W氏は運動会のメンバー表をみて、携帯を片手にどんどん空欄を埋めていった。その圧倒的な力は、僕を呆然とさせた。そのうちにサー○○のコモン・センス、Sさんご夫婦も合流し、さらに空欄が埋まる。なんでも息子さん(高校生)が出てくれるらしい。疲れはもちろんあったが、この非公式の会合で、メンバー集めは格段に進んだのだ。WinWinバンザイ!
W氏は9月21日(土)に綱引きとなわとびの合同練習会をするとおっしゃる。もうすでに場所も抑えてある。これはすでにW氏の頭の中では確定事項なのである。もうこうなったら、21日の練習会を盛り上げていくしかない。しかし、あいにく21日は雨天となってしまった。屋内での練習となる。盛り上げたわりには、それほど人は集まらなかった。これまたガックリ。ただ、ひとつ収穫というか発見があった。
僕はもともと「集団なわとび」に出場する予定だった。しかし、綱引きをやってみると、わりと引けるのね。腰椎ヘルニアがあるので、コルセットを巻きながらだけど、わりと綱引きって合ってるみたい。もともと足腰には自信があるもんね。実際引いてみて、手応えを感じた。そうしてW氏とSさんからスカウトを受けることとなった。この練習では、極限まで脚と腕の筋トレをして、汗だくだくになったけど、結局この運動は、一種のストレス発散にはなったみたい。なんだかんだでWinWinの実現。
自治会対抗800mリレーの出場選手が、なかなか決まらなかった。9月7日の決起集会では「もう仮装して走ってみたら?」みたいな意見がでて、僕も「そういう段階に入っているのか」と神妙に聞いていた。しかしその一方で、高2の女子が先陣切って立候補されたり、例のW氏との非公式会談で中高生三人と大人一人が決定。そしてダメモトで訪問した、小5女子が「走ります!」と言ってくれたり(お母さんが驚いていた。僕はめっちゃ嬉しかった)。中1女子の「走る人がいなければ、走りましょうか?」という殊勝な言葉。なんちゅう優しい。最後は小6男子にお願いすると、お父さんは乗り気。たぶんいろいろ話し合いがあったんだろうけど、当日は堂々の走りだった。みなさん、格好よかったですよ!
さて、そうして迎えた10月6日(日)。決戦の日である。僕は用具係でテントにはあまり出入りできなかった。個人的には、Iさんに集団なわとびに出て欲しかった。だって、9月21日に練習もしたんだしね。でも、他の人と交代になっていたようだ。綱引き予選は、すごく緊張したけどなんとかふたつ勝つことができた。どちらも逆転勝ちだったと思う。ふー、よかった。
集団なわとびは、まずまず。玉入れはもうひとつだったか。頑張ってマニュアル作ったんだけど、あまり奏功しなかった。ま、しゃあない。ぬいとりリレーの超逆転劇。先頭のYさん、転倒しちゃったけど、僕が先頭で走っても、たぶん転倒したと思います。ドンマイっす。それより、あとのメンバーの追い上げが凄かった! やっぱり中高生は強いねー。防災リレーにおけるMJさんの安定感は異常。今回は(というか毎回か)、MJ家に救われたサー○○だった。
そして、綱引き決勝。相手はまあまあ強敵である。うちよりメンバーが明らかに若い。苦しい戦いが予想された。とりあえず、必死でやるしかない。ハーフハーフだと思っていた。先に二勝したほうが勝ち。まず一勝する。手応えとしては「え?これわりと行けるやん」という感じか。二回目も懸命に引いたら、わりと行けた。W氏の執念が綱に乗り移っていたのかもしれない。この勝負に勝った瞬間、僕は弾けていた。W氏も破顔一笑、みなとハイタッチ。
最後の800mリレーは、いちばん心配していたのは、バトンパス失敗とか転倒とか。小学生も走るわけだし52歳のオッサンは、いろいろ気を揉んでいた。でも八人の走者は、まさに堂々たる走りだった。オッサンだったら、真っ先に転倒しますわ。バトン落としたりとかね。若者たちは、そうした心配からは無縁だった。ただ一人、いまや中年のMさんが走ったが、まったく遜色ない。綱引き、Mさんの後ろで引けて、嬉しかったっす。リレーの結果は2位だったけど、僕は大変に満足していました。これだけ走れれば、充分です。
こうして迎えた閉会式。わがサー○○は、三位に入れるかどうかが勝負。他の大所帯な自治会により、1位と2位はほぼ確定している。綱引きをする前は、たぶん4位だったと思う。3位入賞できるかどうか? そこがポイントだった。そうして、冒頭の歓喜に戻る。W氏は写真撮影に余念がない。閉会式が終わってテントに戻ろうとするタイミングで、W氏がみなを止めて写真を撮った。僕は一瞬「また撮んの?」と思ったけど、W氏は「ここしかないタイミング」を心得ていた。サー○○のみなさんの充足感、心地よい疲労感、一体感が、そこには表現されていた。本当によい表情だった。素晴らしい。
総括。いろいろありましたが、最後はうまく行って、ホッと一息です。体育委員という役は、人見知りの僕には荷が重い。「きついなー」と思う一方で、普段会うことのないマンション住民の方たちと、接することができる。いつもは個別的なものが、運動会を通じて「交じり合う」ということ。時代としては、すでに個別的な時代に入っていると思います。顕著なのが、スマホ、タブレットかな。たぶんこれから「運動会なんてもうええわ~」みたいな時代がやってくるかもしれない。それでもなお、こうしたアナログ的な交じり合いというのは、すごい力があると思う。W氏が最後に撮った写真が、それを証明している。スマホの画面ばかり見ていたら、あんな一体感は生まれない。長く長く語ってしまいました。以上「運動会をやり切った!」と題して、文章こさえてみました。