たまには政治的な発言させてくれよ!(年金は死んだ?)

まるちょうという人は、政治的な発言を控える人です。言いにくいことですが、政治のことがあまり分かっていない。というか、関心があまりない。もちろん投票には行きます。でも・・政治のことには疎いです。僕の脳は「芸術脳」と自認していますが、このタイプの脳は議論が下手くそだと思います。どうにも判断が曖昧なところがある。Twitterでは、右や左の人たちをバランスよくフォローしています。「ああ、そういう考え方があるか」「いや、それはちがうやろ」「またこの人、こういう反応したはる」などと、ぼんやり眺めている。その中で、僕は「これが正しい」という風にはふるまえない。人それぞれ、考え方は多様だな~、としみじみ感じるのが関の山です。要するに「無党派層」という事になるでしょうか。リベラル、というにはあまりにもレベルが低いです。だからBlogやTwitterで政治的な発言をすることは、ほぼない。

「年金システムは、すでに死んでいる」

これは真実だろうか? 過激な考え方だろうか?

僕はこの命題において、直観的に「真実」を嗅ぎ取る。



「夫婦そろって65歳から30年間生きると、老後資金が総額で2000万円不足する」との試算を発表した金融庁の金融審議会報告書が話題を呼んでいる。これはホントなのかウソなのかというと、たぶんホントなんです。我々は公的年金だけでは、老後を暮らせない。麻生さんが「2000万円を貯蓄しないといけない」と語ったのは、ごくごく正直におっしゃったんだろう。それはあるいは、政治家として「稚拙だった」ということにもなるか。

麻生さんは結局のところ「年金だけでは老後2000万円が不足する」という金融庁の報告書を「受け取らない」との姿勢を示した。このドタバタは、いかにも麻生さんらしいんですが・・ これ自民党が「受け取った」となると、イメージダウンが甚だしい。今夏の参院選に多大な影響がでると思う。逆に「受け取る」という行為は、率直に年金にまつわる「膿を出す」というプロセスにつながった可能性がある。でも政治家は選挙に勝ってなんぼだからね。臭いものに蓋をしたわけですな。

老後を安心に暮らせるというパラダイムの中では、年金システムはすでに死んでいると思う。これは国会議員のみなさんや霞ヶ関の方々には、すでにして常識なんじゃないか。知らないのは「国民の意識の低い層」だと思う。年金システムの死因は・・ 少子高齢化と寿命の延び。そう、とても構造的なのです。この「時代の流れ」的なものは、誰にも止めようがない。もちろん与党にも野党にも止められない。でもでも、老後の生活の安定は、国民の重要な案件のひとつなわけです。おそらく真実を知って、逆上される方もおられるだろう。というか、ほとんどの国民は「うすうす気づいている」みたいな感じかもしれない。

政府が一番しなければならないことは、国民に「年金の現状と仕組み」について、率直に話して議論していくことだと思います。でも、誰が「猫の首に鈴を付ける」のか。鈴を付けた者が、いちばん損するみたいな事態になっている。

国民民主党の玉木さんがこう言ってる。(アゴラより引用)

そもそも年金100年安心プランは、少子高齢化に合わせて年金を自動減額する仕組み(マクロ経済スライド方式)を導入し、年金の積立金が100年間は枯渇しないようにした改革なので、当然、年金額は減っていくように設計されています。つまり、もともと100年安心プランが担保するのは「年金財政の健全性」であって「国民生活の安心」ではありません。

それを、あたかも人生100年時代を生きるに足る年金(額)がもらえる改革だと誤解を与え続けてきた与党の責任は大きいし、野党もその誤解を前提に攻めると、誤解が広がるだけになります。まずは、今後どの程度年金が減るのか正確に示すことが大切です。大丈夫と言い続けるのは単なる問題の先送りです。



70歳まで働いて、自助努力により老後の生活をやりくりする。そうした未来予想図は、避けられない。安心どころか「不安」がいっぱいの予想図である。まるちょうはもし70歳まで健康ならば、ちゃんと70歳まで働こうと思っています。というか、今は亡き日野原先生と同様に「生涯現役」を貫きたい。70歳以降は、仕事量を減らして社会貢献したいです。仕事をストレスとか言うけど、適度のストレスは良いストレスですよ。老後に完全にリタイアして「急にストレスなし」みたいなことになると、老化の波がどどーっと押し寄せてくるように想像するけどね。「年金で安心はもらえない」と内心では思いつつ、年金保険料を納める日々。とても複雑です。f(^^;)