実の父が米寿、母が78歳。二人とも今まで、わりと元気でやってきた。でも「老いには勝てない」という現象が、特に母に出つつある。始まりは4月18日の電話。訴えとしては「右手が全く力が抜けて動かない」ということだった。本人としては利き手なので、不便極まりない。僕はまず「下垂手(橈骨神経麻痺)」を疑った。とりあえず、翌日にかかりつけ医を受診して、紹介で大きな病院で診察(頭部MRI)を受けるように伝えた。
翌日は仕事。午前中外来だったが、どうもiPhoneが騒がしい。どうやら母の病気は「脳梗塞」だったようだ。しかし仕事があるから、どうにも動けない。午後の心電図だって950枚読んだ。その後、JRにて桂川まで出て、そこからタクシーでS病院へ。実際に話を聞いてみると「末梢の梗塞」だったようだ。これは不幸中のさいわい。その後、若干の巧緻運動障害が残る程度まで改善。
その後、リハを頑張って5月7日に退院。GWは三回お見舞いにいった。まあ、これでしばらく落ち着くかな?と思った矢先、19日にS病院に再入院。こんどは悪寒戦慄と熱発。結論的には尿路感染でした。抗菌剤点滴にて25日に軽快退院。やれやれ。
しか~し! 話はまだまだ続くのである。尿路感染に関して「残尿」が懸念されていた。S病院の泌尿器科でフォローされていたが、30日に母からメール。「自分で導尿しないといけないよ~ 泣」と。僕は産業医研修会の帰りで、初めはその重大性を認識していなかった。JR琵琶湖線でiPhoneで調べているうちに「これは神経因性膀胱なのか?」という疑念にぶつかった。帰宅してから電話で確認すると、主治医も確かに「神経因性膀胱」とおっしゃったそうだ。
そうなると、話の根が深くなってくる。もともと持っている頸部脊柱管狭窄症(2017年手術)の悪化か、今回の末梢性の脳梗塞の影響か? いずれにしても、今後残尿がずっとあるなら、尿路感染のリスクはつきまとう。自己導尿という苦行をずっとしなければならないのか? 老夫婦で悪戦苦闘、導尿三昧の日々。一週間もすると母はヘトヘト。父も粘り強く導尿に付き合ったが、やはり分からないことが多すぎる。投薬はエブランチルとベサコリン。これがどこまで効くか? そして大事なのは、頚髄の再評価。これは6月17日にK病院にて頚椎MRI予約すみで、僕も同伴するつもり。高齢の一般人二人では、なかなか理解ができないだろうし。
6月6日のS病院泌尿器科にも、僕が同伴することにした。事前の情報では「ひどい医者」とのことだった。患者の言うことを聴こうとしない。すごく一方的、高圧的。「毎日、自己導尿して尿量を測るように!」と厳しい指令がでたので、30日に泣きのメールが入ったのだった。僕はそんな医者だったら、医者を変えればいいと主張した。例えば近くのK病院には、もっとちゃんとした泌尿器科がある。
さて当日、両親の話をまず聴いてみる。特に母は多弁になっている。聞いて欲しいことが多いんだろう。腰痛があるというので、腰椎症を心配していたが、ラセーグは陰性のようだった。泌尿器科の医者を変えるという案については気乗りしないようで、あれほどイヤと言っていたわりには「できればこのままで」という感じか。こればかりは実際に会ってみないとどうしようもない。タクシーにてS病院へ。泌尿器科Y医師にお目にかかる。この先生、なぜか僕が医者ということを知っておられる。会って話してみると、普通にいい先生だった。ちょっとしたジョークも交えながら、母の神経因性膀胱がやや改善していることを説明された。なんや、ええ先生やん~
前回5月30日のときは、老夫婦で「神経因性膀胱」について理解が進まず、母は多弁だったりで、先生もキレてしまったんだろうな。ややイラチな先生なのかもしれないが、6月6日の診察では、普通な感じだった。ただし両親に言わせると「ぜんぜん態度が違う!」らしくて、やはり医師の息子がついていくと、対応も変わってくるんでしょうか。ま、あうんの呼吸で話が通じるからね。これと同じ事が6月17日のK病院でも起こると思う。「医師の次男」として、できるだけ同席したいと思っています。母の介護は、これからが本番。介護保険申請とか、いろいろあります。自分の生活を保ちつつ、なんとか関わっていきたいです。