思いがけない発見って、いかがですか?

みなさんは「セレンディピティ」という言葉をご存知だろうか?

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。 また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。 平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである(by Wiki)。



具体例を示しますね。まず星野富弘の絵葉書をご覧ください。熟したマンゴーがゴロンとふたつ転がっていて、星野さんの「雨ニモ負ケテ 風ニモ負ケテ」から始まる、宮沢賢治のパロディ。

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2008年にこのネタでBlogを書いている。単純に「この絵葉書おもろいな~」と思って書き始めたんですが、僕はてっきり「マンゴーの擬人化」を念頭に書き進めたわけです。佳境に入ってきた頃、ふと違和感を感じました。この「ダメな宮沢賢治」は、星野さん自身を指しているんじゃないかって。ご存知の通り、星野さんは頸髄障害で四肢の自由がありません。そうするとゴロッとマンゴーって、まさに星野さんやんか。つまり「ダメな宮沢賢治」は、自虐だったわけです。でもとてもカラッとした自虐。まったく拗ねたところがない。だからこそ熱帯系のマンゴーなわけ。

これぞセレンディピティですよ! これはBlogに書こうと思わなければ、永遠に気づくことはなかった。「マンゴー ≒ 星野富弘」に気づいたことで、この絵葉書の独特の構造に触れることができたし、その深さにも気づくことができた。これピンと来たときは、そりゃー嬉しかったですよ。こういうの、知的な充足感というのかな。

セレンディピティの「仕掛け」は、実はあまねく存在すると思っています。我々がただ気づかないだけです。でもその「仕掛け」を捉えるためには、ちょっとした困難がある。僕が考えるふたつの必要な資質、それは「洞察力」と「柔軟さ」です。このコンビは、簡単そうで難しいかもしれない。だって洞察力は大人のもの、柔軟さは子どものものだから。ルーチンにがんじがらめの大人、責務に忙殺された大人には、難しいかも。といって、子どもに深い洞察力を求めるのも酷というものだ。

心の余裕とか、遊び心。そんな状態があって、セレンディピティは生じるのだと思います。ちなみにセレンディピティはカネでは買えません。カネがあればあるほど、セレンディピティからは遠ざかります。カネを積めば積むほど、必然性は高まりますよね。空腹、丸腰、身軽・・これがいいのかもしれません。例の村上春樹の「壁と卵」の話だったら、だんぜん卵です。壁になった大人は、もはや「思いがけない発見」とは無縁の存在でしょう。心がけたいことかと思います。

セレンディピティは、特有の爽快感、充足感を生みます。これは一見ちっぽけなものですが、僕自身は生活の中のブレイクスルーとさえ言えると思っています。そういう「お、こんなのありか!」という喜びが、我々の生活を推進する力になっている。そういう想像って、悪くないと思いませんか?