9月14日から16日まで、京都府立文化芸術会館にて「大人の塗り絵」を展示しました。自分で準備して展示するのは初めてのことで、けっこう疲れた。同時に発見も多かった。4日にやってきた台風21号の騒ぎから、ほぼ続きのような感じでこの展示会に突入したので、疲労困憊となった。虎穴に入らずんば虎子を得ず、とはよく言ったもので、9月は「リスクを伴う穴蔵」だったような気がします。まあ、なんとかなってよかった。
京都府医師会の会報「京都医報」の7月1日号に、付録として次のような紙がはさまっていた。「第51回 京都医家芸術展への作品募集のお知らせ」である。これ、これまでにも毎年はさまっていたはずだけど、なぜか今年は目に留まった。「俺、いちおう医師会の会員やし、自分の作品展示できるんやろか?」と。でもでも、俺の作品ってば、模写やし、色鉛筆やし、無理っぽいよな~、みたいな。品目のところに「あらゆる工芸作品」とある。念のため訊いてみるか? FAXで上記のような質問を「医芸クラブ係」へ送ってみた。すると実にあっさりと「どうぞ出品なさってください」と返ってきた。ええ~、マジか。
2016年から描いた作品が、ちょうど四点ある。BlogやFBには投稿しているけど、原画を展示したことはなかった。というか、展示するなんて遠い未来のことだと思っていた。これぞ「僥倖」というやつでしょうか。この芸術展は、会員の家族も利用できる。念のため、息子(写真家志望)に声をかけてみたら、すごい乗り気の返事。彼も自分の作品を発表できる場所を求めていたみたい。彼は四点の写真。
そうして、8月は四点の作品の修繕など。とくに過去の作品は、さまざまの劣化があったりする。まさか展示するつもりで保存もしていないからね。あるいは修繕しながら「ここはこう描いた方が・・」みたいな、欲がでてきたり。「ジャンヌ・サマリーの肖像」は、かなり手入れをした。これはこれで楽しいひととき。「真珠の耳飾りの少女」の背景の黒に、パラフィンみたいなのが析出する現象に悩まされたが、最終的にティッシュで拭き取ればいいことに気づいた。そうすることで、むしろ黒に「ぺったりとした」奥行きが生まれた。うん、なかなかいいぞ。
そうして迎えた9月9日のオフ。息子から「額装は大丈夫?」と指摘を受けた。僕は展示の経験がないので「会場で業者さんがやってくれる」と勝手に信じ込んでいた。念のため「医芸クラブ係」にFAXしてみると、翌10日の朝に電話がかかってきて「額装は各自でお願いします」との旨、ちょっと焦った感じで話された。だって、搬入が13日に迫ってるし! ええ、マジで? その日は所用もあり、なかなか身動きが取れない。とりあえず昼寝の前にiPadでもって草津市内で額装してくれそうなところをリサーチ。すると草津駅前に「風の門」という画材屋さんがヒット。とりあえず、それを見届けて眠りに落ちた。
さて、いつもならジムで汗を流すところだが、今はそんな余裕はない。まずは額装をなんとかせねば。四点の作品を持って、草津駅前の「風の門」へ。若い店員さんが一人おられる。額装が初めてだと伝えると、てきばきと慣れた感じで方向づけ。さささっという感じで、四点の額装が決まり、40分ほどの待ち時間を近鉄の喫茶店で過ごす。こんな近いところに、いい感じの画材屋さんがあるのか~、ぜんぜん知らんかった。数年前にわざわざ京都の画箋堂に行ったんだけど、草津駅前にあるやん! 店員さんもちゃんとしてるし(画箋堂の店員さんは、ぜんぜん無愛想だった)。喫茶店でいろんな想いに耽っていると、すでに完成の時間。額装された「わが子たち」は、それはすてきだった。ペラペラの画用紙に描いたものでも、額装するとそこそこ立派に見える。馬子にも衣装とはよく言ったものだ。よっしゃこれで、13日の搬入に憂いなしだ!
13日当日。13時から搬入だったので、息子と一緒に京都府立文化芸術会館へ。一点2000円の展示料にて、合計16000円なり。払ったら札がなくなって、ちょっと焦った。俺ほんとに51歳かな? 搬入そのものは、すぐに終了。それから三日間、僕の絵がどのような評価をうけ、あるいは無視され、というのは分からない。模写なので、作者名を併記して欲しいというはあった。こうした展示会に参加して感じたこと。「絵画の大きさはとても意味がある」ということ。僕はF3号の絵を出品したんだけど、やはり小さい。どうしてもインパクトに欠ける。そしてあと一点、ちょっと新機軸が頭に浮かんだ。具体的なことは、次回作の下絵ができた時にBlogに書きます。本当に疲れ切ったけど、よい体験でした。見せるために描くという視点。このプリミティブな視点が、僕にはどうも弱かったようです。「自分の趣味」で閉じてしまっていたというか。この刺激を、次回作に活かしたいと思っています。乞うご期待!(笑)