よっつの義理チョコに汗だくになった俺を笑うな

ホワイトデーはとうに過ぎましたが・・ そもそもホワイトデーって、なんでしょね? Wikiで調べたところ、これは日本で生まれた習慣であり、諸説あるものの、おおよそ1970年代から始まったらしい。もちろん、菓子業界と広告業界、デパートなどの「共謀」である。そして欧米などでは、ホワイトデーという習慣はほとんど認められないという。

今年のバレンタインチョコは、四人からいただいた。嬉しいことです。でもその反面「お返しどうしよう?」となってしまう。男おいどんの私は「粋なお返し」というのが苦手です。苦手というか「どうしたら相手に喜んでもらえる贈り物ができるか?」という点で、苦しんでしまう。Twitterで「義理チョコのお返しにシャネルのコットンを1000円分贈る」というキレ技が大いに叩かれていたが、私はそこまで割り切れない。


三月初旬、勤務終了後に慣れない伊勢丹にいた。まずお義母さんのお返し。ハンカチとかがよさそう、との妻の情報をもとに伊勢丹をさまよう。さまよい歩くうちに、お義母さんにはこれまでいろいろ頂き物をしたのに、一回もお返ししていないことに気づいた。なんと罪深い! 逆に今年にかぎって、なんでホワイトデーに気づいたん?という素朴な疑問はあるのだが・・ 8Fフロアを歩いていると、ちょうどいい感じの「ホットマン」という店舗に出くわした。サクサクッとハンカチとタオルをWD仕様にしてもらい、一件落着。けっこう汗だくになりました。でも、お義母さんには喜んでいただけたようでよかった。ずっと返礼なしで、すみませんでした。

ふたつめは夫婦で行きつけの「まかない屋」というレストランのお嬢さんのお返し。高校生なんだけど、どうしたものか、大いに悩んだ。こういうのは「サクサクっと」軽いノリでやったほうがいいと思いつつ、あまり軽すぎてもガッカリされそうだし。そうしてまた伊勢丹。今度は10Fをぶらぶら。「伊藤屋」という文具店で「ki-gu-mi」という木製のパズルが展示されていた。お値段もちょうど手頃で、キリンが可愛かったのでゲット。でも最終的にはへとへとになって、ちょっと体調をくずした。もう命からがらって感じ。

帰宅してそのことを話すと、嫁が「あの店にはお世話になっているから、それだけではダメ」とおっしゃる。翌日、お嬢さん用とお店全体用のちゃんとしたチョコを買ってきた。たかが板チョコひとつにこれかよ、ってな風情だったが、流れなので仕方ない。「まかない屋」のご主人に渡しておいた(お嬢さんは不在)。もちろん恐縮されていたのは言うまでもない。

みっつめは、息子の彼女へのお返し。GODIVAの簡易的なチョコにメッセージがしたためられていた。実は嫁が上記のチョコと一緒に、彼女用のチョコを買っていたので、とりあえずメッセージ作成。手持ちのカードに「これからもよろしくね」的な言葉をしたためた。いつも息子の心の支えになってくれて、ありがとう。チョコと一緒に息子に手渡した。

最後、よっつめ。嫁へのお返し。これは心に決めていた。前述の伊勢丹10F「伊藤屋」である。例の「ki-gu-mi」コーナーの隣に「5108」というコーナーがあった。わりと洒落てるし、まあそこそこのお値段だし、ちょうどいいなと思っていた。私は売り場で入念に(これ大事ね)商品を選んで、最終的に「Merci」という言葉を選んだ。嫁が喜んだのは言うまでもない。

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最後に。返報性という呪縛を考える。女性はこの呪縛に対して、積極的であり自然体でいられる。普段から消費行動も盛んにおこなっているので、「お礼をする」ことにそれほど負荷がかからない。むしろ彼女たちにとっては、新たな消費行動の「口実」ができた、くらいのものではないか。男性が「男くさく」あればあるほど「返報性の負荷」は重くのしかかる。ハッキリ言って面倒くさい。でも成熟した男性になるには、それは「必要な負荷」なんだと思う。社会はまさに「返報性」のような、関係性を証明することで成り立っているのだから。今回のホワイトデーは、いい汗かきました。「ちゃんとした男性」に、少しだけ近づけたかなと思っています(笑)。