プロになるためには1万時間の研鑽が必要という説について

将棋の谷川浩司九段をご存じだろうか。彼が主張するプロフェッショナルの必要条件が面白い。概略だけ記しておきます。

将棋に限らず、どんな分野でもプロの領域に達するには1万時間が必要である。1万時間と書くととても長い時間のように感じるが、1日3時間やれば、1年で1000時間、これが10年続けば1万時間になる。最初のうちは30分でもよい。1万時間まで継続するには、まず「好きになること」。たまにスランプになって成果がでないこともある。そうしたときにあきらめずに粘れること。好きでありつづけること。



単純明快な考えだ。プロフェッショナルを定量的に表現しているのが面白い。もちろんこれは必要条件であって、どんなプロかは問うていない。とにかく1万時間、あることに真剣に従事すれば、プロの領域に踏み込んでいけるという主張。この考えは、深い哲学を含んでいるように思える。


私の場合を考えてみましょう。医業に費やした時間は、大幅に1万時間を越えている。今は主に外来業務になるけど、すでに「どのようなプロになるのか」という領域に入っていると思う。つまり「質」が問われている。それ以外、たとえば文章作成について考えてみる。Webに文章を書き始めたのは2000年頃から。2005年からBlogの形式となった。当初はめくらめっぽうに書いていた。とりあえず継続しようと思っていたし、書くことが楽しかった。今は少しペースダウンして文章を書いています。大雑把に計算したところ、文章を書くのに費やした時間は、のべ7000~8000時間くらいになるようです。プロにはいま一歩か。あと、心電図読影の作業も相当に長くやっているような気がしていたけど、計算したら、たった4000時間くらいでした。全然アマチュアやん。

私は谷川九段の主張に、だいたい賛成です。あることをプロレベルまで高めようと思ったら、それは「1万時間」というまとまった時間が必要だろう。「石の上にも三年」という諺もある。何かをものにしようと思えば、インテンシヴに時間を投入する必要がある。あるいは継続する必要がある。その大前提として「それが好きであること」「好きであり続けること」が必要。いわば純愛ですわな。純愛は仕事なり。「愛は誤解から始まる」という見地から言うと、いかに自分を「これは好きなんだ」と言い聞かせて継続するか。だって1万時間だもの。そういう部分も必要だと思いますよ。欲望を理性で説き伏せるみたいな。

でもホントに好きなことならば、いったん中止して離れていても、しばらくして再び従事したときに「やっぱりこれが好きなんだ」と実感することでしょう。これは男女関係でも同じだろうね。しっくりくる感じね。そうして愛は深まる。仕事のスキルも深まっていく。深まると更に面白くなる。イヤなこともあるでしょう。でも逃げない。どんどん主体的にかかわること。真のプロとは「dedicate」するものだと思っています。だからこそすり減ることもあるし、泣くこともある。ジョージ秋山が言ってました「仕事は先生、遊びは友達」と。

遊び? 遊びも大事だ。真面目な谷川先生にジロリと睨まれそうだが、遊びはいくつかあった方がいいと思う。これはイヤになったら止めちまえばいい。だから遊びの種類はみっつくらいあった方がいいよ。上手に回していけばよい。遊びが「これをやらねば」的になっちまうと、本末転倒である。強迫的な趣味は、それはもう趣味ではない。趣味は逃避であっていいと思う。気まぐれで全然OK。

ちょっと脇にそれるけど、女性はつらいね。「1万時間」って言うけど、若い時期に妊娠や出産、育児という女性として重要なイベントが待っている。そのたびにキャリアが途絶えるので、どうしても継続が難しい。社会に出て「1万時間」に達したとしても、出産して育児して復帰、となると、スキルを戻すのに一苦労だろう。男女平等が謳われて久しいけど、生来的に男女は平等ではあり得ないと思う。女性はどうしたって弱い立場にある。男女平等の理想を実現するためには、男性側の包容力、寛容性が必要ですよね。女性でも社会で立派に能力を発揮できる人はたくさんいる。出産、育児でキャリアが中断しても、戻ってこれるように男性は慮るべきだと思う。それが成熟した社会というものだ。

プロとして高みにある人を想う。その人は仕事への純愛を貫いた人だ。好きであり続けるということは、そうたやすいことではない。狂気をともなう視野狭窄でもって「それ」だけを愛することだ。確かにそれは素晴らしいことだと思う。ただ、私はそのことを必ずしも正しいとは思わない。生きていく上で逃避は大事だというのが私の持論です。ちょっと逃避したあと、仕事に戻ってきて「ああ、やっぱりこの仕事が合っている」と思えたら、それは幸いなるかな。みなが行者である必要はないのです。ただ、若いうちは「1万時間」をちょっと頭のすみにおいて、人生設計できるといいかもしれません。以上、谷川浩司九段の言葉を引用して文章こしらえました。