失踪する直前を思い出してしまった(笑)・・その壱

「男の自画像(全六巻)/柳沢きみお」をKindle版で読んだ。Kindleって、便利なツールです。25年前に途中まで読んでいた漫画本を廉価でサクサク読める。本当にありがたい。でも本作を読んでいると、なにやら胸が苦しくなっちまうのです。あれは研修医一年目の冬。僕は適応障害(と思う)となり、三ヶ月にわたる失踪事件を起こしたのです。で、その直前に読んでいたのがこれ、というわけ。全編、男のストイシズムがこれでもかというほどに描かれていて、本当に胸が苦しくなる。姿を消す前にこんなの読んでたのか、と自分で呆れてしまうのです。次のふたつの軸で語ってみたい。

#1 男の「渇き」について

#2 男の孤独と性について

16

まず#1について。アスリートの寿命は短い。その「短命」の中で、自分の能力をいかに華咲かすか。多くの選手が、夢半ばにして引退を余儀なくされる。並木雄二(36)は、そんな哀しきアスリートのひとりである。カミソリシュートを武器に、最盛期は13勝をあげたピッチャーだったが、右肘の故障で30歳に引退。現在はサラリーマンとして、地に足をつけて生活している。

05

そんな中、並木はプロ野球界へのカムバックを夢見るようになる。「夢見る」というよりは、彼にとってはもっとリアルな計算である。ナックルという魔球を決め球に、厳しいプロ野球界へのカムバックが可能だと考えたのだ。それは一度その厳しい現場に身をおいた並木ならではの「直感」だった。彼は会社を辞し、妻と子ども実家へ。ついには愛人の57晴江にも去られてしまう。文字通りハングリーな状況の中で、もがき苦しみながら夢を実現させていく。

あらすじについて、くどくど書くつもりはない。本作の核になるのは「男としての本能的な渇き」だと思う。それは野性と表現してもいいか。この「渇き」というやつは厄介で、破壊的で社会性がない。女には全く分からない世界である。というか、女性には迷惑千万なシロモノだと思う。「プロ野球にカムバックしたいんだ」と伝えた時の、並木の妻の表情が印象的。54まあ、彼女の方がまともだよな。「渇き」というのは一種の狂気であって、常識を越えたところにある。繰り返すが、女には分からない。

男の「渇き」について、もう少し突っ込んでみる。「ノルウェイの森」の永沢さんとハツミさんに登場してもらおう。彼らは付き合っているが、永沢さんは夜な夜な街へ繰り出して、修行僧のように女を抱く。

「君には男の性欲というものが理解できないんだ」「たとえば俺は君と三年つきあっていて、しかもそのあいだにけっこう他の女と寝てきた。でも俺はその女たちのことなんて何も覚えてないよ。名前も知らない、顔も覚えてない。誰とも一度しか寝ない。会って、やって、別れる。それだけだよ。それのどこがいけない?」「私が我慢できないのはあなたのそういう傲慢さなのよ」(中略)「あんなの女遊びとも言えないよ。ただのゲームだ。誰も傷つかない」「私は傷ついてる。どうして私だけじゃ足りないの?」「足りないわけじゃない。それはまったく別のフェイズの話なんだ。俺の中には何かしらそういうものを求める渇きのようなものがあるんだよ。そしてそれがもし君を傷つけたとしたら申しわけないと思う。決して君一人で足りないとかそういうんじゃないんだよ。でも俺はその渇きのもとでしか生きていけない男だし、それが俺なんだ。仕方ないじゃないか」

要するに「渇き」とは、男の身勝手に他ならない。男の一個人としての上昇志向というか。それは女が構築する家庭や愛情、あるいは安定を求める意識とは相容れないものだ。でもでも、おそらくそうした「渇き」を抱いている男の方がモテるんだな。上記の永沢さんがいい例だ。「ノルウェイの森」は、そのへんの愛の不条理を見事に描いていると思う。ハツミさんは永沢さんのことが好きでたまらないのだ。やれやれ。

40
 

並木は素晴らしいカムバックを果たした。残された成績は「6勝23セーブ6敗」である。しかし再度、右肘を故障し翌シーズン引退となる。国立大出の頭脳、カムバックでの苦労、そしてその人間性を高く評価され、ピッチングコーチとして再契約となった。

6勝23セーブ6敗
この一年限りの記録の重みを、女は分からないだろう。並木の人生にとってどれだけの価値があるか、究極的には並木にしか分からない。しかし、特に女には理解できないだろう。これは人生というジグソーパズルにおいて「欠けてはならないピース」なのである。並木は最後の一片を埋めるために自分を燃焼し尽くした。ようやく並木のピッチャーとしての心に平安が訪れたと思う。「これだけやったんだから、もう仕方ない」という、一種の諦念とともに。これはアスリートなら誰でも味わう哀しい満足感である。次回は#2について語ります。