失踪する直前を思い出してしまった(笑)・・その弐

「男の自画像」のつづき。今回は「#2 男の孤独と性について」という切り口で語ってみる。1992年の冬は、孤独で芯から冷える冬だった。結局のところ、僕は研修医という激務を甘く見ていたのかもしれ04ません。というか、社会人になるという一種の「段差」について、ちゃんとした心づもりができていなかった。研修医というストレスに負けつづけ、消耗する毎日。あの時、女体が僕を慰めてくれていたら、もっと結果は違っていたかも、と思うのです。

並木雄二がカムバックを宣言してから、家族は妻の実家に帰っていった。愛人の晴江はカムバックに賛成していたが、並木の「愛人を囲う罪悪感」から妙な具合となり、結局二人は別れてしまう。そう、彼は決してエゴイストではない、内省的な精神の持ち主なのです。でも、それまで晴江により満たされ26ていた「性欲」が、行き場所を失ってしまった。トレーニングして男性ホルモンは盛んだが、その欲動の行き場がない。毎日つづく不眠症。眠りは浅く、晴江との性交を夢見たりする。そして早朝に朝立ちして覚醒。起きてもだるい、気力が湧かない。どんなに疲れ切っていても、必ず目が覚める。しかし、そこには誰もいない。そこで並木はこう述べる。

性欲の奥の深さをひとつ俺は知らされたよ。今まで男の性欲なんて、射精すればそれでおさまるものだと思ってた・・ 違うんだな、たまってるたまってない、、に関係なく、、 どうしようもなく体が女の体を、欲しがるんだよ。性器じゃなく、体全体が女を欲しがってイモ虫のようにのたうち回るんだ! (中略)ややっこしいんだな。そう、ややっこしいんだ。なんて言うかな、その淋しさってものは、メンタルの世界だけにじゃなく、肉体にだって淋しさを感じるんだと分かったよ! 本能的な乾き、、だと思う、それは。

この感覚、僕の研修医一年目の冬とバッチリ合うんです。ストレスに疲弊していく中で、どんどん自暴自棄になり、孤独の中にのめり込んでいった。そうした時、ペニスは硬く勃起するのです。孤独になれ34ばなるほど、架空の女体を求めてペニスは硬く勃起する。それこそイモ虫のように当てもなく。そうしたクズみたいな性欲を、例えば深夜に、病院の便所なんかで処理していた。射精した後は心身共に空っぽになって、待合のベンチで寝る。無茶苦茶な日々でした。「体全体が女を欲しがる」という表現は、まったくその通りと言いたい。でも、僕を相手してくれる女はいない。あるいは逆に、女を避けていたかもしれない。だって、すでに自暴自棄だったから。それは20代の若者が陥ることのある負のスパイラルだった。その渦巻の先には何があったんだろ26う?

当時、「死」を意識したことは一度もなかった。ただひとつ「この日常から逃れたい」それだけだった。結果論的にいうと、それは大学病院から物理的に離れることであり、研修医という多忙な業務から離れることだった。僕が失踪したのは、無意識に「自殺という最悪の結果を避けた」ということだと思っている。逃避することで、自殺を免れたのだ。一種の防衛機制としての逃避。それはギリギリの選択。

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人間、やはり何かを真剣に取り組むときに「正真正銘の孤独」では、どうにも力は出せないのです。パートナーによる性的な関わり(肉体的、精神的少なくともどちらか)がないと、人生の苦難には立ち向かえない。そのことを1992年の冬に本作を読みながら、大いに並木に感情移入していた。並木は順子という第三の女との関わりの中で、悶々としながら、最後は順子のアタックで結ばれる。そうしてその夜、並木は数ヶ月ぶりに熟睡したのだ。・・死んだように。俺もだれかにアタックされたかった(笑)。

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最後に、誤解のないようにひと言。僕が失踪したのは、結局のところ僕自身の責任です。誰が悪いのでもない、僕が悪かったのです。研修医一年目の夏以降、僕は一種のセルフ・ネグレクトに陥っていた。そうして負のスパイラルに加速度的に巻き込まれていった。誰もそれを止められなかっただろうし、僕自身もどこか捨て鉢な気持ちだった。当時の僕にとって失踪とは、不可避的な流れだったのです。本作を読み直して、そうした当時の苦しい感情を思い起こした次第です。並木がカムバックを果たしたのを確認して、本当にホッとしました。25年経過して、それが大きな救いです。