近況・・もしもエレピが弾けたなら

いつの頃からか、電子ピアノ(=エレピ)を週二回、あるいは三回、練習している。時間的には20ー30分。こんなやり方では、いつまでたっても上手くならないと思いつつ・・

僕は5歳ごろから13歳ごろまで、エレピを習っていた。小学一年生のときに、希望を込めて新品のエレピを買い与えられた。当時の僕はその「親の想い」というものに、からきし無頓着だった。要するに、練習嫌いだったのだ。こうした「噛み合わない散財」というのが、僕の人生にはいくつかあるように思う。今更ながら、両親には申し訳ない気持ちです。ま、それは置いといて、まるちょう少年は、本当に練習の嫌いな子どもでした。レッスンは週に一度なんだけど、ほとんど練習せずにレッスンに向かう。先生はしかめっつらで、レッスンのときに練習、という塩梅だった。それでも年一回の発表会は、なんとか帳尻を合わせていた。いわゆる、要領のよい子でした。正直、親の期待になんとか応えようとして、頑張るけど頑張りきれない。そんな感じだったかな。そんなだから、いちばん大事な「音楽をたのしむ」という境地ではなかった。当時の僕にとっては、音楽は単なる「訓練」だったのです。


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13歳以来、エレピと再会することはなかった。というか、もう二度と弾くことはないだろうと思っていた。そんな中、五年ほど前だったか、お蝶夫人♪がちょっと古いエレピを自宅に持ち込んできた。15年くらい前にJEUGIAで安売りしていたので買ったものだという。最初は他人事みたいに「ほえ~」という態度だった。しかし「大人のピアノ」というポップス中心の楽譜をみていると、約30年ぶりだというのに、楽譜が読めるのね。ちょっと心躍る感じがした。「大人のピアノ」には、まさに「音楽をたのしむ」ために工夫が凝らされていた。そうだ、「自発的で個人的なエレピ弾き」を目指していいんだと、そのとき気づいた。

「ノルウェイの森」の中でレイコさんがこう言ってる。

(前略)でもある年齢をすぎたら人は自分のために音楽を演奏しなくてはならないのよ。音楽というのはそういうものなのよ。そして私はエリート・コースからドロップ・アウトして三十一か三十二になってやっとそれを悟ることができたのよ。



お蝶夫人♪の中古のエレピが届いたとき、僕は45歳。その頃、中途半端にいじっていたアコースティックギターに早々と見切りをつけ、エレピを触るようになった。そうです、弾くというよりは「触る」に近い。週に一度か二度くらい。あるいは二週間くらい触らないことも。とても散漫な「疑似練習」の中で、久石譲の「さんぽ」、坂本龍一の「aqua」「energy flow」を、いちおうなんとか最後まで弾いた。この間、たぶん四年は経過している。それで気づいた ☞ この程度の練習では、とうてい上手くなれない。

一日練習を怠ると自分には分かる。

二日怠ると批評家に分かる。

三日怠ると聴衆に分かってしまう。


この言葉はたぶん真理です。もちろん、聴かせる立場(プロ)のレベルではありますが、やはり練習はできるだけ毎日やるべき。Twitterでこの言葉が流れてきたとき、自分の意識の低さにげんなりしました。でも・・僕は仕事も持っているアラフィフのおっさんです。他にBlogとか塗り絵とかジムとか、いろいろあるし。エレピに割ける時間といえば、やっぱり最大、週に三回。一回30分程度。そうか「音楽をたのしむ」とは言いつつも、ちゃんと曲をマスターするためには、やはり「訓練」が必要なんだな。

「訓練」という覚悟以外に、もうひとつ大事なことがある。「なんのために練習するの?」という実に根本的な哲学。苦労して一曲仕上げて、それで?みたいな。要するに誰に聴かせんの?ということね。今更、音楽教室でもないしなー。でも今年の二月頃だろうか、ふと思いついたんです。「そうや、SNSで演奏を発表したらええねん!」と。というわけで、この半年くらい「energy flow/坂本龍一」ばかり練習しています。10月中には録画してアップできるか? カメのような鈍い足取りですが、ちょっと頑張ってみたい。

最後に。人生における輪廻転生って、信じますか? 僕はエレピに関しては、これを信じたいんですね。30年ぶりに偶然が重なって目の前に現れたエレピ。神様が「ギターじゃなくてエレピやれよ」と仰ったのでは?(笑) こうした偶然という名の贈り物を、僕は大切にしたいと思います。10月中になんとか、下手くそな「energy flow」を披露できますように(。-_-。)。