妻の誕生日をうっかりして、考えたこと

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8月29日、妻の誕生日でした。私はうっかり忘れてしまった。朝の挨拶でも、行ってきますの玄関先でも。そうして電車の「行ってきますメール」を送信して、はたと気づいた。「あ、きょう彼女の誕生日だった」 すぐに訂正してメール送信するも遅し。彼女は悲しんでいた。私の目の前には、仕事が待っている。電車の中で、できるだけ目の前のことに集中しようと思った。


仕事から帰ってきて、私は開き直った。私はうっかりしただけなのだ。うっかりを認めない方がおかしいと。でもこれは間違っている。やはり誕生日を忘れた方が、決定的に悪い。悪い印象を与えて、私は昼寝した。そうして迎えた夕食タイム。妻はこちらを無言で見ている。私は目を合わせる。何を言いたいのか、私はよく分からない。そうしたことが何回かあって、結局、今日の誕生日を忘れたことについて議論することとなった。

なぜ忘れたのか? 結論としては、自分の中で彼女のプライオリティが低いというわけではない。彼女はそうだと言い張るのだが、断じてそうではない。彼女より、Blogとか塗り絵とか将棋が大事というわけではない。私は自分のルーチンに入ってしまうと、まわりが見えなくなるところがある。28日の夜も、まったくそんな感じだった。妻と息子は、いま大変な目に遭っている。それを尻目に、私は自分のことに精出している。もっと妻と息子のことを考えるべきではないか? やっぱり俺は家族に対して、意識が低いのではないか?

いつの間にか、自己批判になってしまった。妻と話し合っている間に、自分は自分の「愛」を、他人に対して表現するのが下手くそだということになった。だからこそ、誕生日などは、真剣勝負で取り組まねばならない。普通に、自然にそれができる人はよい。俺はそれができないのだ。ちゃんと意識して、頑張らなければ、このハードルは越えられない。29日の朝は、まったく「自然」だった。これでは、ダメなんです。前日の夜から「明日は誕生日、しっかり挨拶すること」と念じて寝入る必要がある。これだけ構えてやらないと、私は妻に、家族に、愛を伝えられないのです。

妻は結婚して14年間、誕生日は楽しかったためしがないと言う。いつも荒涼たる思いになり、散々な目に遭ってきたという。今年はプレゼントは成功した。マキタのワイヤレス掃除機だ。これは大変に喜んでくれた。でもこれを送ったのは、六月頃なのね。私はこのキャッチーなプレゼントをして「今年はこれで、なんとかキメられた」と胸をなで下ろしたのである。でもそこがいけなかった。安心しちゃったのね。29日の朝は「ゆるゆる」という事態になってしまった。

私は並列でものを考えにくいタイプです。そしてプレゼントはホントに苦手。プレゼントなんて、妻にしか贈らないけど、誕生日は毎年やってくる。ホントに頭が痛い。彼女が今、何を求めていて、何がキャッチーで、何をもらったら嬉しがるか、これを想像すること。ホントに難しい。プレゼントの達人は、これを鮮やかにやってのける。妻の友人のMさんとか、そのタイプだ。妻もプレゼント名人。14年間、何も学ばなかったのか?と叱咤されるが、今年のマキタのクリーナーは認めてくれよ。☞認めてくれた。

しかし、来年も、再来年も、またその次も、ずっと誕生日はやってくる。不器用な私は、春頃から悩み苦しみ、今年はいいプレゼントできたけど、来年は全然自信ないし。でも、悩み苦しみことが「愛」なんですね。自分を削り、消耗して、初めて「愛」と言える。金額や手間を惜しんでいては、愛とは言えない。こうして真夜中に文章書くのも愛である。明日は六時半に起きるけど、今は二時過ぎである。仕事も辞して文章を書く、これぞ愛である。

なーんてね、いろいろ書いてきましたけど、俺って家庭をちゃんと持てる人間じゃないですよ。妻と息子が大変なときに、Blogだの塗り絵だの。ぜんぜんお門違い。父として、夫として失格。よく妻と話し合うんですが、僕はやっぱり結婚すべきじゃなかったと思う。家庭人として失格だから。妻や子どもを幸せにできないクソ野郎ですよ。自分のことばかりで、家庭のことに目が行かない。最後は自虐になっちゃったけど、これはホントのことです。俺は家庭人には向かないです。すみません。って、今更あやまってもしょうがないけどね。妻と息子よ、ごねんなさい。