暗黒の6月9日金曜日。13日でないのに、その日はオレにとって呪われた金曜となった。ま、オレって無宗教だしな。違うか。とにかく、その最悪の日を経て、自分という人材の「危うさ」を自覚せずにはいられなかった。いろいろ考えさせられました。とりあえず、その惨劇のあらましを記します。
6月6日、7日と、睡眠のリズムが悪かった。やや過眠かな? そして8日(木)はオフだけど、意欲が今ひとつ。一日寝ているような感じだった。ややうつの傾向かな? でも、夕方から「えいっ!」と力を入れ直して、翌日に備えた。睡眠もまずまずだったと記憶している。そうして9日(金)。起きてみると、すごくだるい。玄関から出て、行ってきますのポーズも力が入らなかった。満員のJRで一番心配したこと。排便をどうするか。家を出るまでに済ませられなかったので、診療所まで持つかどうか。電車内でお腹が周期的に痛む。こうした場合、たいていIBSになるのが常である。電車は結局、京都まで座れず。嵯峨野線への移動中も、それほどの便意なく、時間もないので、嵯峨野線へ乗り込んで座る。ふぅ~。お腹は10分に一回くらい、きゅーっと痛む。これはなんとか診療所で用を足せる感じかな? 円町に着いたら、一目散でT診療所へ(10分くらい)。診療所に着いたら即行でトイレに駆け込んで、用を足した。脂汗がだらだら流れた。「ふう。これで今日の外来のリスクはなくなったな。頭痛は今のところないし、なんとか行けそう」と安堵した。
金曜日は慢性疾患の予約外来がメインである。状態が悪いながら、まあなんとか行けるだろうと考えていた。三人目の患者さんだっただろうか。高血圧でかかっているお婆さんなのだが、診療の終わり際に世間話をされる。そうですか、そうですかと傾聴する。そのときの椅子が、これがいけない。軍事用なのである。極めて硬い座り心地で、リクライニングもガッタンゴットンする凶器のような椅子である。腰の悪い人の息の根を止めるやつだ。お婆さんの話を聴いているとき、私はその椅子の先端にちょんと座る感じだった。つまりカルテを書くつもりが、意外にも話が長くなってしまったという感じね。その姿勢は腰部の筋肉を緊張させていたのだろう。ふいに腰の激痛が走った! 「あいた!」と顔をしかめる。お婆さんはただならぬ雰囲気に、逃げるように退室された。オレはそのとき、死んだと思った。まだ外来は始まったばかりだというのに?
マジかよ~ 排便もOK、頭痛もなし、慢性疾患の外来。荒れる要素が少ないはずだったのに、そこへまさかのぎっくり腰とは・・ しかも始まったばかり。窮地に追い込まれたが、ここはやるしかない。患者さんには笑顔、心は涙。というか、シャツは脂汗でべとべとだった。ちょっとした姿勢の違いで、ひどい腰痛に見舞われて、その都度目を白黒させる。患者さんによっては、痛みを隠さなかった。「いや~、今さっき、ぎっくり腰になっちゃって」と意図的に同情を誘った。青い顔をして隠蔽するよりは誠実だろう。大いに慰めていただいた。ありがとうございます。
そうして午前の外来がなんとか終了。これが一般外来だったら、ホントに死んでいたな。脂汗でべとべとのシャツのまま、午後の仕事へ。K診療所で心電図を800枚ほど読む。なんとかやり終えて、ぐったりJRへ乗り込む。たぶん腰痛のせいだろう、神経は冴え、緊張し、やや怒気さえこもっていた。早めに帰宅できたので、ちょっと仮眠をとろうとするも、まったく眠れず。交感神経が極度に興奮している。風呂に入って夕食を食べていても、家族に対して喧嘩を売るような態度。「一家団らん」という言葉はどこへやら。
その後、再度寝入るも、やはり全く眠れず。これはヤバい。双極2型障害のオレにとって睡眠は命である。しかもできたてホヤホヤのぎっくり腰がお伴ときている。現状の異様な不眠は、躁状態と思われた。午後九時ごろになって、お蝶夫人♪と相談する。これは明日、診療は無理じゃないか? 彼女は「それなら連絡は早い目にした方がいいよ」とアドバイス。明日の朝に電話をいれる手もあったが、現状こんなんだったら、どう考えても仕事にならん。で、T診療所の事務長さんの携帯に連絡。オレは敗北感に打ちのめされていた。その夜は結局、ほぼ眠れず。
ようやく深く眠れたのは、翌日10日の夕方ごろ。しっかりした治癒の眠りだった。一時は一週間くらい休職も考えたほどだったけど、10日、11日、12日でわりと回復していった。12日にはかかりつけ精神科を受診し、13日と14日の就業について許可をいただいた。両日はなんとか仕事をこなせた。14日の心電図を500枚以下に制限してもらったのもよかった。15日(木)はオフでゆっくり休息。16日は心電図が1000枚越え、17日は土曜の二診体制だったが、なんとか切り抜けた。まさに「ガチの一週間」だったけど、T診療所とK診療所には貢献できたと自負しています。でもある意味で、これは根性だけの薄氷の貢献にすぎなかった?
そこで思うのです。私という人材の「もろさ」を。双極2型障害と線維肉腫というふたつの疾患を抱えている。雇用する側は、私というややこしい人材をどう扱うか、それは大変だろうと思うんです。これまでは双極2型障害だけだったのが、昨年から線維肉腫という病気が加わった。私は就業するからには、しっかり仕事をやり遂げたい人です。いったん引き受けたものは、しっかりやり通す。この姿勢は、社会人全般に求められるものでしょう。
双極2型障害については、今回こそこういう形になってしまいましたが、「基本的に休職は不必要なくらいの」状態にはコントロールできています。やはり心配なのは、線維肉腫の再発だろうか。こればかりは全く読めない。T診療所もK診療所も付き合いは長い。15年以上にはなるでしょうか。その中で自分の体調についても、ある程度の理解をいただいている。これが新規に病院を探すとなると、極めて困難だろう。こんなややこしい人材は、どこも雇ってくれないに違いない。両診療所には、本当に感謝しかないです。縁というのは大切にすべきだし、長く維持できて初めて輝くものだと思うのです。
私の今できることといえば、目の前の仕事を誠実にこなすこと。欲張らず、粛々と自分の領域を片づけること。もちろん自分なりの勉強は必要だけど、無理が出るような行動は厳に慎まなければならない。そうしてようやく「信頼」が生まれるんだと思う。雇われる側の論理として、肝に銘じようと思った次第です。