35年前の自分、友人を想う今日この頃

最近、ひょんなことから中学時代の同級生とメール交換している。高校時代の悪友Oくんに中学の卒業アルバムを盗られて、中学時代の記憶がなにやら薄い。連絡先なんかも分からないし、もう自分の中の中学時代は死んでしまったとあきらめていた。小学、中学、高校、大学。それぞれに思い出はある。でも中学って、そこにしかあり得ないような、独特な時代だと思うんです。肉体的にも精神的にも、そして性的にも大きな変化の起こる時代。危うげだけど無限で、でもどこか傷ついている時代。あるいは傷つけている時代。

Sさんとメールするようになり、その「閉ざされた中学時代」が、とたんに開けてきた。忘却の彼方にあったたもろもろが、どんどん蘇る。Sさんの送ってくる写真が、私の廃れた記憶をはげしく刺激する。同級生の現在も、とても感慨深いものがある。1495980970880でも一番「きゅんきゅん」したのは、やはり中学時代の写真だ。各々の表情に、その時代にしかあり得ない「純粋さと勢い」がある。個人情報になっちゃうのでお見せできないのが残念だけど、オレにもこうした「新鮮な」時代があったんだと、ちょっと嬉しくなった。(合宿の集合写真なんだけど、自分の写真だけなら問題ないでしょう。アップしときます)


オレはあの頃、すごく奥手な少年でした。いわゆる反抗期もなく、性的に未熟な子供だった。友人たちが「恋人欲しい」とか「そろそろ初体験したい」とか、そういうそわそわした想いを胸に抱きながら生きているなんて、これっぽっちも思っていなかった。そういう「学校では教えてくれないけど、生きていく上で大事なこと」に対して、自分を閉ざしていた。オレは要するに変人でした。その後、高校、大学においても、青春を上手に料理できないチェリーボーイになっちまった。

上記の写真をみるにつけ、そうした苦い想いもこみ上げてくる。片眼が開いていない生き方だった。青年期、ずっと片眼で生きてきて、36歳(結婚)になって、ようやく両眼が開いた。だから今の自分ならば、そうした中学時代の「勢いのあふれた」写真の裏側に、彼らの旺盛なリビドーと、それにまつわる苦悩、悲しみ、そんなものが見て取れるような気がする。これはもちろん、悪い意味でなく、若さという意味で。勝者も敗者もいない青春期のカオスのなかで、彼らは懸命に生きていた。それはもう、懸命に。そうしてN先生、T先生は、こんな青春期のカオスの奔流に正面から立ち向かっておられた。正面から受け止めるということが、どんなに大変か。それは仕事に就いて、真剣に働けば誰でも分かることだ。お二人は誤魔化さなかったし、いつも公平だった。そんな先生は、どうしたって印象に残る。

村上春樹が「やがて哀しき外国語」という作品のあとがきで、こんなことを記している。

五年なり十年なり二十年なりの年月が経過して、そのあいだに人間が変わるのは当たり前のことで、変わらない方がよほどおかしい。それと同時に、その変化を可能にしたあなたという人間は、一貫した不変の存在としてそこにある。



35年経過して、オレも変わった。なにより両眼が開いたし、大きな病気も二度経験し、家庭を持ち、仕事も一応しっかりやっている。こうした「長い年月をかけた変化」というのは、日常に埋没しているとわかり得ない。人が集まる所って苦手だけど、ここは勇気を出して踏み出そう。秋頃に同窓会、出てみようかと思っています。そうして「オレと同様に変わった」同級生に会ってこようと思う。「35年間の大いなる変化」を感じ取って、何かが生まれるかもしれない。Sさん、本当にありがとう。