「真珠の耳飾りの少女」ふたたび

真珠の耳飾りの少女C1月から取り組んでいた「真珠の耳飾りの少女/ヨハネス・フェルメール作」が完成したので、Blogにアップいたします。まず、画材を記しておきます。紙はmaruman VIFART(N.P. surface F3 S23V)、サクラ クーピーペンシル(60色)、三菱 ダーマトグラフ(黒)、修正ペン。

実を言うとフェルメールの絵画は、本作以外はそれほど惹かれない。でも本作については、強く強く惹かれる。何度みても、いつまでみても、飽きない。その吸引力は、いったいどこから来るんだろう? 2014年に「大人の塗り絵/河出書房」で本作を描いて、入選を果たしている。でも内心では「まだまだ突っ込めていない」と思っていた。それは何より、陰影の表現が甘いということ。本作のテーマである「光と陰」がイマイチだと思っていた。

それにしても、本作ほど「印刷の仕方」で表情が変わる絵画も珍しい。例えば、上記の「大人の塗り絵」のお手本(左)では、わりと優しい表情だった。でも・・昨年のカレンダー(世界の絵画シリーズ)での「真真珠の耳飾りの少女(原画)珠の耳飾りの少女」(右)を見るにつけ、ぎょっとなったのです。それはすでに「少女」ではなかった。大人としての「憂愁」「凄み」「艶」を感じさせるんです。優美だけでは済ませられない「人生の重み」を感じてしまう。何というか、一線を越えた「女」を感じてしまったんです。その「混乱」を醸成しているのが、まさに「翳り」なのです。僕は「これは面白い!」と思いました。初心者のときと違い、今はダー51s1rr4MJELマトグラフ(黒)という武器を持っている。これで「突っ込んだ陰影」を描けないかと企んだわけです。大人としての翳りを、もっと突っ込めないか。そうして、ひと癖ある「少女」を描けたらと思いました。

この絵を描くのは、三度目です。だいたいの要領はわかっています。新しいのはダーマトグラフを使う部分。ちょっと荒っぽくなった部分もありますが、「男性的な線」という解釈でお許し下さい。本作のクライマックスは、個人的には鼻筋から目にかけての陰影だと思っています。とても微妙で繊細な部真珠の耳飾りの少女分。ここでしくじると、まるきり印象が変わります。(比較のために、大人の塗り絵コンテスト受賞作品も載っけておきます。二度目のやつです)

「光と影」を突っ込むという当初の目論見は、まずまず達成できたかなと自負しています。優美だけでない「翳り」、もっといえば「ある種の病み」の表現。一線を越えた「女」というやつは、誰しもそうした「病み」を持っていると思うんですが。「魔性」という言葉で置き換えてもいいでしょう。本作の「矛盾の多さ」が、魔性を醸しだしているんだと思います。それはある種の不安定さを生み出し、我々は思わず二度見せずにはいられない。

描かれた少女が誰かはわからないが、これは「肖像画」ではなく、「トローニー(en:tronie)」という独自の様式に分類される。モデルなしに想像で描いたものか、実際にモデルはいても、肖像画のようにその人物の地位や名声を表面に押し出す必要がない、そのため画家が自由に描く事ができるものである(by Wiki)。

最後に。フェルメール先生は、本作で何を表現したかったのか。これは個人的な意見ですが、「象徴としての謎」を描きたかったんじゃないかと。だって印刷の仕方で、いかようにもとれる表情。少女なのか「女」なのか。微笑みなのか、憂いなのか。可憐なのか、性悪なのか。それはすべて「謎」なのです。逆に内包される謎が、絶大な吸引力となっているわけです。やっぱ、原画を観たいな~ また来日することがあれば、東京くらいは平気で行きます。なんなら、オランダまで行ってもいいかも。目の黒いうちに、一度でいいから自分の目で拝みたいと思っています。