背中の縫合不全について、近況を記したいと思います。前回、10月7日にVACデバイスを装着してBlogにアップしました。思えば、あれが「外来VAC」の始まりだったわけです(VAC=減圧閉鎖療法)。主治医はベストの治療法と考えて提示されたと思うし、私としても混迷を極める縫合不全に、ようやく光が見えた気がしました。
ただ装着当初は、やはり考えが甘かった。主治医からの説明だと「普通は三週間、必要ならあと一週間プラス」ということでした。私は10月いっぱいで、この蟻地獄から抜け出してやる!と意気込んでましたが、結局VACは四週かかったし、その後もすぐに傷が閉鎖するわけではなかったのです。要するに、それだけ傷の状態がひどかったというわけです(ポケット形成+MRSA)。
でも四週間しっかり辛抱すれば、道は開ける。それだけを頭に描いて10月を乗りきった。よく困ったのは、私が外来をしている時に、VACのデバイスが「ぶーぶー」あるいは「ピーピー」とアラームが鳴ること。患者さんがおられるので、大変あたふたしました。あれは焦ったな。VACの回路にリークや詰まり、断線などが起こると音が鳴るんですね。デバイス自体は下着の中なので、患者さんを背にして慌てて電源をオフにしたり。あれは、ほんまに焦った。
一度だけ、大事件(やや大げさか)が起こった。VAC装着から10日後の17日。この日は、たまたまOffで、今思うとラッキーだったと思う。14日に患部を覆うパッドを交換したんだけど、この時期は滲出液が異様に多かった。パッドも十分な大きさではなかった(大きさは三段階あるみたい)。17日の朝には、パッドは緑褐色の滲出液でタプタプになり、昼頃には吸引ができなくなった。その時は軽く考えていて「しょーがねーな」てな調子で、電源を切って昼寝した。
翌日の夕方に受診の予定だった。このまま吸引できない状態で、あと24時間待てるか? ふと不安になり、VACデバイス(商品名PICOという)のウェブサイトから取説をダウンロードして読み始めた。初めは翌日まで待つつもりだった。でも・・ 現状は明らかに「即、パッド交換が必要」な状況と分かった。そして、つらつらと明記される有害事象。「局所または全身の感染、壊死組織の増加、創傷の悪化、創傷治癒の遅延、死亡(出血など)」 血の気が引いたね。なにより感染が一番こわい。こりゃいかんということで、K医科大病院救急へ電話する。これが夕方五時半ごろだったか。救急担当医は、すぐに整外科の主治医に連絡してくれて、ホッと一息。パッドを外して消毒して、ガーゼで保護するとかかな? などと勝手に想像していた。しかし救急担当医の指示はまったく違った。「今からすぐに来て下さい」
ええ?っとなる。今からだと、あちらに着くのが七時過ぎ。でも、ちゃんと対応してもらえるのなら、それが一番である。夕食のカレーはすでにスタンバっていたけど、それどころじゃない。バタバタとK医科大病院救急へ。そうして七時過ぎに着いたはいいけど、ずっと主治医は現れない。会議をされているようだ。結局、大きいパッドに交換してもらったのが、九時ごろだっただろうか? まあ、大学勤務の先生は、超多忙です。むしろ、こんな夜間に対応してもらったことが、ありがたかった。それから河原町三条の王将で王将ランチをガツガツっと食って、その日は帰宅した。チャーハンと唐揚げ、うまかったわ~
それ以降は、特に問題なくいきました。パッドの交換ごとに、先生や看護師さんたちが「うわ~、小さくなってる♡」とおっしゃるので、嬉しかった。そうして11月4日が外来VAC最終日。その後にどうするか? VAC療法をやり始めたときは、植皮も選択肢に入っていた。その場合は、入院となる。だから4日の診察は結構ドキドキしたけど、主治医は「直接、縫合してしまう」選択をされました。つまり、VACがそれだけ著効して、傷の具合がよくなっていたというわけ。VACは本当に優秀な治療法だと思いました。
というわけで、現在は縫合された傷が、ちゃんと閉鎖するか、観察中です。滲出液は極めて少ない。経過は良好だと思っています。15日(火)に診察があり、状態がよければ抜糸もあり得るか? いやいやそれは話がよすぎるな。抜糸はもう少しあとかな?と想像しています。いずれにせよ、11月中には、これまでもがいてきた「蟻地獄」から這い出ることができそうです。12月からは、晴れて定常運転で日常を送れたらいいな、と思いを馳せているところであります。以上、近況をひとつ記しました。