近況をひとつだけ。いま振り返ると、なんとも苦しかった。前進したかと思えば後退して、がっかりする。パっとしない9月だった。
8月30日にK医大病院を退院。背中の肉腫は手術で取り切れた。「ようやく自由の身や~」と喜色満面だったのに・・ あるいはその「気の緩み」が災いしたのかもしれない。退院後、縫合不全という「本質的でない戦い」に巻き込まれてしまった。縫合不全といっても、縫合部の八割くらいはちゃんとくっついている。しかし、いちばん真ん中の直径数cmくらいの部分がくっついてくれない。ここはもともと血流の少ない部分であり、くっつきにくい部分と言われていた。でも、退院時にはわりといい状態だったのだ。
退院後、私はいきなり生活をトップギアに入れてしまった。スポーツジムもわりとやってしまう。汗びちょびちょになって帰ってくる。風呂に入るのも、うっかり間違えて、お湯を背中にかけてしまう。生活の端々に「緩み」があったと思う。いま思い返すと、顔をしかめてしまう。もちろん、医療側の判断ミスや操作ミスもあったと思っている。いろんなものが複合して、現在の状況を作り出したと思っています。時系列で、簡単に書き出してみる。
8月30日 退院
9月2日 退院後、最初の病交 問題なし
9月6日 病交にて細菌感染の兆候あり フロモックス処方
9月9日 病交にて、滲出液多量。ポケット形成みとめる
9月10日 多量の滲出液にて寝室のベッドを汚す(掛け布団も)
お蝶夫人♪が臨時の洗濯物増加におおわらわ
9月13日 病交にて、再縫合手術を打診される
9月16日 局麻下で再縫合手術(ドレーン留置)+細菌培養
9月20日 細菌培養からMRSA(多剤耐性黄色ブドウ球菌)検出。
抗菌剤をミノマイシンに変更
※ミノマイシン変更後、滲出液は減少、しかしゼロにはならず
9月23日 病交にて、いったん抜糸して洗浄。菌量を減らすために傷を解放する
9月26日 病交にて洗浄のみ
9月28日 外来終了後、昼飯時に主治医より携帯に連絡あり
10月7日にVAC療法の手術を打診される
10月4日 病交にて、かなり肉芽の状態が良好。ポケットも減少
自宅でのガーゼ交換がよかったと褒められる(一日二回、by お蝶夫人♪)
(もちろんミノマイシンも効いた。便秘に悩まされたが)
10月7日 局麻下で傷のデブリードメントとVAC装置取り付け手術
本当に迷走した9月だった。そして意識の低い9月初旬だった。束縛された8月(入院生活)の反動とはいえ、本当に「緩んだ」というしかない。もちろん、MRSAの元住居はK医大病院だったとしても、それを傷に巻き込んだのは自分だと思っている。退院しても「傷は治りきっていない」という当然の警戒を怠ってしまった。
9月からすでに、T診療所での外来は再開しています。そこで慢性疾患の患者さんたちに「先生、別の病院に行かれたのかと・・」「いやいや、どこにも行かないですよ。もう大丈夫ですから」などというやりとりを繰り返す。これはある意味、ハッタリである。だって、傷はまだ大丈夫じゃないんだから。でも「大丈夫」と見得を切らなければ、不安で病状が悪化する患者さんだっている。患者を診る医師があやふやな状態では、患者は安心して身を委ねられない。9月の苦悩は、こうした虚実の交錯した日々だったように思う。つまり、外来では医師として気丈にふるまい、K医大病院の外来では患者としてぐらぐらする、みたいな。
VAC療法(陰圧閉鎖療法)
傷の状態はよくなりつつあるが、やはりポケットはまだあり、MRSAは根絶できていない。この状況を打破するために、主治医はVAC療法を選択されました。入院でなく外来VACであるところがミソです。私が再入院を嫌っているのをよくご存じなので、気遣っていただいたのだと思います。外来VACでどこまでよくなるか。主治医のT先生を信じて、また自身も気を抜かずに、縫合不全の終息に努めていきたいと思います。よき医師との出会いは、幸いなるかな。T先生、ありがとうございます。11月から、なんとかフル稼働で働きたいが・・ まだ判りません。取り急ぎ、苦しんだ9月について、記してみました。